せとうち車旅 - 国東六郷満山 (1) [大分]
- 熊野磨崖仏 不動明王像 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行7日目(9月9日)。 この日は、豊後高田市から国東半島の史跡を回り大分市まで移動しました。
国東半島は「六郷満山」と呼ばれる仏教を中心とした史跡がたくさんあるところ。富貴寺や両子寺をはじめ、寺社や磨崖仏がたくさんあります。ガイドブックに載ってる小さなところも、1つ1つ立ち寄ると、1週間くらいかかりそうです。
ところで、旅行に出発する前のこと、国東半島の史跡の巡り方を決めようとガイドブックを読んでいると、ある誤解がありました。
私の以前の知識(駅の観光ポスターとか雑誌を眺める程度で刷り込まれたもの)
・ 国東半島 - 石仏がある
・ 臼杵石仏 - 当然に石仏がある
↑ これを短絡的に結び付け、国東半島に臼杵石仏があると思ってたんですね。
国東半島の地図には「臼杵」って地名が見当たらない。でも「臼杵」は集落の名前かもしれないし、「杵築市」って似た感じの市があるから、国東半島のどこかにあるんじゃないかって思ってた。
そのあとで佐賀関あたりの地図を見てる時、たまたま「臼杵市」の文字が目に入り、「あれ、なんでこんなところに? しかも市なのか」 って。
そして次なる誤解が発生。頭の中にあった国東の石仏が、全て臼杵市に移ってしまった。
「じゃあ、国東には何があるんだ?」「何もないなら、豊後高田に泊まった翌日は、国東半島は素通りして、別府の地獄めぐりとか行った方がいいかな」
でも、ガイドブックをよく読むと、国東にも石仏がある。
有名な臼杵石仏とは別に、国東にも石仏があるってことか?
こんなことを、ちょっとでも思ったことを反省しなくてはならないくらい、国東は史跡にあふれたすばらしいところでした。
今回は午前中に行ったところの中から紹介します。
富貴寺
六郷満山、最初に行ったのは富貴寺。
前の日に県立歴史博物館でレプリカを見た大堂。(国宝)
さっそく、本物に対面しました。
堂中は撮影できませんでした。
阿弥陀如来像や壁画がありました。
博物館のレプリカは、建物も本尊や壁画も、色彩が復元されててカラフルでした。
ホンモノは色が落ちてるけど、ここで見る方がすばらしい。
元宮磨崖仏
富貴寺から熊野磨崖仏への途中にあった元宮磨崖仏。道路に面しているところにありました。
観光用パンフレットの地図を見ると、国東にはたくさんの磨崖仏があるようです。
ここを含め、ほとんどの磨崖仏は入場無料でした。
(ただし、ほとんどの人が行く有名な磨崖仏や史跡は、入場料が必要でした。)
穴井戸観音
富貴寺から熊野磨崖仏への途中の道から、少しそれたところにある穴井戸観音。
あまり人が来ないのか、この階段は踏む面も苔で覆われ滑るし、蜘蛛の巣だらけでひっかかって大変でした。
でも、ここまで山深いお寺の雰囲気は、このあたりでも他にないものがあり、また奥の洞窟も深く印象に残ったので、行って良かったと思っています。
縁起の後に、「どうぞ怖がらずに奥にお進みください。何かがあなたをお待ちしております。」と書かれた張り紙。
そして、待っていたは、たくさんのコウモリ。最初は暗くて気が付かなかったけど、奥まで進んだ時、一斉に狭い洞窟の中を飛び回り始めました。
絶叫して洞窟の外に逃げたよ。ネズミの群れみたいなもんだからね。襲われるんじゃないかって怖かった。
真木大堂
富貴寺から熊野磨崖仏への途中にある真木大堂。
国宝になっている平安時代の仏像が9体もあります。
旧本堂
国宝の仏像は、この新しい建物の中にありました。中は当然のように撮影禁止。
熊野磨崖仏
熊野磨崖仏は、駐車場からこの石段を登ったところにあります。
ゴロゴロの石段は、階段を整備してないんじゃなく、これにも伝説があるようで、九十九段の石段を、鬼が一晩で作ったとか。
「しかし、これを九十九段というのは無理がありますね~」 「見ての通り、高さや形の違う石で積んでありますからね」 なんてことを、地元の観光バスガイドさんが説明してました。
まあ、確かにその通り。
これで段数を数えても、数える都度違うはず。
鍋山磨崖仏 / 三の宮の景 / 三の宮八幡社
熊野磨崖仏のあとは、両子寺に向かいました。途中、磨崖仏や神社の案内を見かけると、なるべく立ち寄るようにしました。
鍋山磨崖仏は、元宮磨崖仏と同様、無料で立ち寄れる磨崖仏です。
鍋山磨崖仏から、少し進んだところにある「三の宮の景」
渓谷にある岩が重なり合って、独特の景観になっています。
三の宮八幡社
続きます。