懐古 - 神保町 [東京周辺]
お茶の水~九段で、懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回は神保町です。
最初はいろいろな本屋さんから。
書泉グランデ
高校~大学時代にもっともよく通った本屋さん。
高校生の頃、書泉グランデのこげ茶色のブックカバーのついてる本を持ってる学生さんが、なんだか大人に見えたのが使い始めたきっかけだったような。
本屋さんはそのまま残ってるけど、最近、あのブックカバーを使ってる人は、すっかり見なくなってしまいました。
三省堂書店
書店としては古くからあったようだけど、私が書店として認識したのは、この建物ができた時。 いつだろう。
ブックカバーだけのことで書泉グランドびいきだった私は、探してる本が書泉にないときだけ三省堂にきてました。
「辞書は三省堂」ってテレビコマーシャルも、最近は見てないですね。
芳賀書店
水道橋の記事で少しふれたけど、「エロ本」を超える当時の新たなジャンル「ビニ本」販売の有名店として、一世風靡した本屋さん。
このジャンルで数十年。
すばらしい !!
神田古書センター
「古本屋さんが何軒か集まりビルになった」って、当時は話題になりました。 でも、いつできたか、あんまり覚えてない。 高校生~大学生のどこかだな。きっと。
当時、古書を探す趣味はなかったけど、このビルのことはなんとなく覚えていて、「なんでだろーなあ」なんて思いながら、テナントの看板を見ると。
あ! そうだ !!
カレー屋があったんだ。
いもや (天丼・天ぷら定食)
たまに来てました。
昼はいつも大混雑。
今回、お店に入ったけど、ここで写真撮るのは勇気がいりますね。
写真は天丼屋の「いもや」。 定食のお店は近くの別のところにあります。
さぼうる
店の入口にトーテムポールがあり、店内もジャングルのようだった 「さぼうる」。
(たぶん) 建て替えもなく、当時のまま存在してました。
さぼうる2
「さぼうる2」は、あるときいつのまにか出来たんだけど、それもすごく昔。 今も残ってました。
珈琲館 専大前本店
スタバやドトールがなかった30年前、コーヒー店チェーンというと「珈琲館」でした。
ここは「専大前本店」。会社も(UCCの子会社になって)存続し、お店の統廃合もなく残ってました。
この記事書いてて「キッチン南海」とか「キッチン ジロー」なんてのもあったなー、って思いだしてきました。
今度、行ってみようと思います。
懐古 - お茶の水 [東京周辺]
就職してからあまり行くことがなくなった駿河台周辺。 だけど、お茶の水にある英語学校に通い始めたことで、かつて行ってたお店の事とかを思い出してきました。 懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回はお茶の水です。
就職してからほとんど行かなくなった水道橋や九段あたりと違って、お茶の水は自宅からの最寄駅の通る千代田線と同じ路線で、JR中央線との乗換で使うことから、就職してからもわりと立ち寄ってました。
東京復活大聖堂 通称:ニコライ堂
「東京復活大聖堂の入口で待ちあわせ」なんて言っても、たいていの人は、どこだかわかりません。 ニコライ堂です。
今回の記事で、唯一30年以上前から残ってる建物でした。
カザルスホール
(お茶ノ水スクエア)
ここには、主婦の友社って古いビルがあったけど、1987年に建て替えし今のビルになりました。
出来たばかりのころ、国内初の室内楽専用「カザルスホール」がなんだかおしゃれな感じがして、ここのコンサートに行きたいって理由だけで、何の演奏かよくわからないままチケットを買ったことがあります。
今は日本大学の所有になってるそうです。
明治大学リバティタワー
母校じゃないけど、建て替え前の明治大学生協には、ちょくちょく行ってました。当時(今でも)本は再販商品だけど、ここの生協で買うと10%だか20%だか率は忘れたけど割引があったので。
一般的に生協は、出資した組合員じゃないと購入できないとこが多いけど、それはどうクリアしてたのかな。 記憶にない。でも、明大生協には就職してからも、スーツで行ってたりしたから、組合員のチェックはなかったか、甘かったのかもしれません。
日立製作所に勤務してる友人と飲む時は、お茶の水が多かったな。。。と思って、日立のビルを探したけどなかった。 たぶん、このあたり。
帰ってからネットで調べたら、お茶の水に日立製作所の本社はもうないんですね。 当時の社屋も取り壊し済だそうです。
JAZZ LIVEHOUSE NARU
お茶の水駅に近いJAZZのライブハウス。 でも、私の記憶する「NARU」は、代ゼミに通ってた現役のころ、駅近くでランチを食べるお店でした。その代々木のNARUが、あるとき、お茶ノ水に移転し代々木の店を閉め、私は気に入ってたランチのお店がなくなり、寂しい思いをした記憶があります。
お茶の水に移転してからは、前を通っても入ったことがないんだけど、ここのホームページを見ると、NARUは「ジャズ ライブハウス」なんですね。 それと、いつのまにか代々木にも復帰して同じくジャズライブハウスになってる。
でも、当時の印象で、JAZZとかライブハウスと結びつくものは全くないんだよね。昼食はシェーキーズにしようか、NARUにしようか、とかそんな感じだった。 お酒飲んでライブを聞くような年齢じゃなかったかもしれないけど。
山の上ホテル
駿河台一丁目の交差点から見ると、低い建物だったような。
増築なのか改築なのかわからないけど、ホテルの様子が変わってしまった。
カザルスホールのあるお茶ノ水スクエアは、所有が主婦の友社から日本大学に移り、図書館として使われていました。 前回の記事にした研数学館の建物も、日本大学が使用しています。 明治大学生協のあった場所は、高層ビルのキャンパスになってます。
私の印象だと、大学キャンパスは都心を離れ、八王子、川崎、所沢といった郊外へ移転を進めてると思ってたけど、このあたりの大学校舎は移転して減るどころか、増えてるのが意外でした。
続きます。
懐古 - 水道橋 [東京周辺]
お茶ノ水~九段下あたりは、予備校時代の昼間の居場所でした。 大学のころもたまに行くことがあったけど、社会人になって以降は、さっぱり用事がなくなり約30年。
ところが今年になって、お茶ノ水駅近くの英語学校に通い始めたことで、当時のいろいろな記憶がよみがえってきました。
数日前、講義の前に、周辺を歩いてきた記事を、エリアごとに書いてみます。
同じ世代の人で、このあたりでブラブラしてた人には、懐かしいと思うお店があるかもしれません。 ただ、まだ未成年だったころの話なので、お酒の出るお店は入ってません。
エリアを4つ(御茶ノ水・神保町・水道橋・九段)に分けて記事にしますが、この4つは明確に分けられるものでもなく、かなり主観によるものです。 今回は水道橋から。
お茶ノ水~九段にかけて、最も多く足を運んだのは、予備校で1年間通った研数学館でした。 水道橋駅から神保町交差点方面に歩くと、すぐ右側にあります。
当時から古いと思ってた建物は今も健在。 だけど、予備校業は10年以上前にやめてしまったようです。
TONYレコード
「あ !! まだあったんだ」
と思った中古レコード店
予備校生にとって、中古とはいえレコードは安いものではなく、のぞくことはあっても買った記憶のないお店。 雰囲気は当時のままだけど、店内では当時なかったCDを売ってました。
レコード社
ここもたまに寄ってました。 何を探してたのか、記憶にないけど。
中古レコード店は、このあたりより、高田馬場にあったお店に行ってたんだよね。
(たぶん)このお店のあたりに「芳賀書店」があったはず。
どんな本屋かあえて書かないけど、当時は男性だれもが知ってるような有名店でした。
行ったことあるような、ないような。 すでに記憶にないな。
神保町に本店があり、そこは今も営業してました。
研数学館の近くにある喫茶店によく行ってました。
記憶に残ってる場所と古さから、たぶんここ「神田白十字」なんだけど、店名の記憶がはっきりしないので、ひょっとしたら違うかもしれません。
水道橋あたり、揚げたて天ぷらのある立ち食い蕎麦屋がいくつかあり、ほぼ毎日通ってるお店がこのあたり(専修大学付近)にありました。
店のおやじが、その日の出汁の出来が気になると、食べてどうかって聞かれるくらいの馴染みだったけど、このあたりに来なくなってから、すごく久々に通った時、店ごとなくなりビルになってました。
カトリック神田教会
この存在を認識したのは、つい最近。英語の学校に行き始めてから。
研数学館から近いんだけど、当時はキリスト教や教会建築に興味がなかったから、記憶に残ってなかったのかもしれません。
お茶の水から水道橋の間には、石段の坂道が2つあります。
お茶ノ水から水道橋に行く時、その逆もそうだけど、この坂の入口はよくわからないところにあって、水道橋から何となくお茶ノ水の方向に向かい、細い路地に入ると、どっちかの坂の下に出ます。 どっちに出るかは、いつもその時次第。
↑ 男坂の上 (お茶ノ水側から)
← 男坂の下 (水道橋側から)
階段がまっすぐなのが男坂
↑ 女坂の上 (お茶ノ水側から)
← 女坂の下 (水道橋側から)
階段の途中が曲がってるのが女坂
研数学館のビルや中古レコード店が、今も当時のまま残ってるのは意外でした。 忘れてたはずの記憶が甦り、懐かしかったです。
続きます。
亀戸天神社 - うそ替神事 [東京周辺]
亀戸天神社で1月にあった「うそ替神事」に行ってきました。
「うそ替神事」というと、九州の大宰府天満宮が有名ですが、亀戸天神社は菅原道真をお祀りしており、太宰府天満宮を本社としていることから、同じ神事が行われているようです。
かわいらしい木彫りになっている鳥が「うそ」で、新年に交換すると、前年の悪しき事が“うそ”になり一年の吉兆を招くことができると信仰されていたそうです。
参拝者同士でうそ鳥を交換するのが「うそ替神事」の本来のやりかたで、太宰府天満宮では今でもそうしているようですが、亀戸天神社では、前年までのうそを神社に納め、新しいうそ鳥を買うことになっています。買うことができるのは1月24日と25日の2日間だけです。
昼過ぎに行ったんですが、うそを買うための行列がすごく、どのくらい待つのか予想もできなかったので、そのまま帰ってきました。
上の写真は、納所です。 きれいに並べられてました。
松戸 - 金町 ウォーキング (葛飾区金町) [亀有のもろもろ]
-半田稲荷神社 -
松戸から金町まで、旧水戸街道を歩いた記録の後半です。
江戸川を葛飾橋で渡ると、東京都に入り葛飾区東金町になります。
このあたり、車で通ることはあっても、歩いたのは初めて。 知らなかったけど、歴史のあるお寺と神社が散在してました。
■ 半田稲荷神社
葛飾区に入り、金町駅に向かって10分くらい歩くとあるのが「半田稲荷神社」。
正確な創建時期ははっきりしていないらしいけど、千年を越す由緒ある神社と言われています。 江戸時代にははしかと安産の神様として知られ、歌舞伎や狂言にもこの神社の名前が出てきてるそうです。
狐一対 (の片側)
3体の一番奥に見える、顔が暗く写ってるのが、狐の石像で葛飾区最古だそうです。
手前の石像、顔が犬に見えますね。
神泉遺構
水垢離場(水を浴びて体を清める場所)だったそうです。
■ 光増寺
半田稲荷神社から葛西神社に向かってると、途中にお寺があったので寄ってみました。 「光増寺」の開創は貞應元年(1222年)だそうです。
舟形地蔵道標 (手前)
道標の役割をしていたお地蔵さん。以前は旧街道沿いにあったそうです。
左右に「そうか迄二里半」「これよりミきいわつきおんぢミち」 (これより右、岩槻慈恩寺道)と彫られているそうです。(現物では読めませんでした。)
六地蔵。
これも、道標にならってか、舟型になってる。
■ 葛西神社
平安時代末期、元暦2年(1185年)の創建。 かつては上葛西、下葛西の三十三郷の総鎮守として、大きな神社だったそうです。
鍾馗石像
「鍾馗」は疫鬼を退け、間を除く神で、この像は右手に剣、左手に子鬼を掴むんでいます。 元禄8年(1695年)地元の念佛講の人達が、悪魔降伏を祈って建造したそうです。
イチョウの木
区指定の天然記念物です。
石造鳥居
龍神使姫
葛西神社から金町駅に向かってる時にあった石碑。
「龍神使姫」って彫ってあるけど、それが何かは不明。 不思議な名前だな。
今回の記事にした、金町周辺の神社やお寺について知ったのはごく最近。 区の教育委員会の発行している資料を図書館で見てからでした。 史跡や彫刻というと国宝や重文ばかり興味が惹かれがちだけど、普段は気に留めてなかった地元のことに目を向けると、見過ごしていた神社や石碑の縁起などが意外に面白く、いろいろわかってくると楽しいウォーキングとなりました。
旧水戸街道、他の区間も歩く予定ですが、花粉とPM2.5が収まってからになりそうです。
A:葛飾橋
B:半田稲荷神社
C:光増寺
D:葛西神社
E:金町駅
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松戸 - 金町 ウォーキング (松戸宿) [亀有のもろもろ]
- 春雨橋詰にある松戸宿案内 -
うちはローカル歴史ブームです。 きっかけは、区の図書館で読んだ古地図や郷土資料が興味深かったこと。葛飾区は水戸街道が通り佐倉街道の起点にもなっています。
この日は水戸街道の一部、松戸から金町までを歩いてみました。
今日はコースの前半、松戸宿について書いています。
■ 松戸宿 (商家と街並み)
亀有から松戸までは、常磐線で2駅。 近いけど、松戸で用事があったことがなくて、この駅で降りたのは初めてです。
松戸宿は旧水戸街道で、江戸から3つめの比較的大きな宿場だったそうです。
駅を出て、最初のポイントは、そばの「関宿屋」でした。
食事だから、街あるきじゃないか。
「関宿屋」は、流山のそば屋が、明治になって松戸神社あたりに移転。 松戸駅に近い現在地には明治38年の移転。
建物は昭和43年に以前のものを移築したんだそうです。
そばを食べ終わって、やっとホントの街歩き。
松戸宿の老舗、建物は明治から最近に建てたものが多いけど、呉服屋さん、和菓子屋さんが今も営業しており、かつてここが宿場町だったことを感じさせてくれます。
古くからのお店を探して歩くと、最初にあるのが呉服の「葛西屋」さん。 現在も営業しており、創業173年だそうです。 外から見ただけだけど、店内は豪華な生地がたくさんありました。
建物は新しいです。
「やしま」さんは、江戸享保年間からの、傘や提燈のお店。
ここも建物は新しいです。
(たぶん) 福岡種苗店
この建物かどうかわからないけど、このあたりに種屋があったはず。 そこは大正からの種屋さんで、もともとは農家だそうです。
「東府屋人形店」さん
創業等の情報はなかったけど、昔からありそうな人形屋さん。
ここも「福岡屋」さん。 江戸時代から薪、炭を扱う旧家だそうです。建物は明治期。
「やまだ屋」さん。
明治末期の建築です。
創業90年以上の松戸の老舗和菓子屋「岡松」さん。
建物は明治末期。
「近江屋」さん
ここも、創業等の情報はありません。
本陣跡地はマンションが建っており、案内板だけがあります。
■ 松戸宿 (お寺と神社)
松戸宿にはお寺と神社もたくさんありました。
西蓮寺
徳川家康の関東入国後に、三河からの僧が矢切村に創建し、慶長18年(1613) に現在地に移転したそうです。
善照寺
写真の不動堂は、慶安4年(1651)に建てられたもの。 「お不動様」と通称され信仰を集めてるそうです。
宝光院
元禄年間の創建で、江戸時代には松戸神社の別当寺だったそうです。
本堂左手に四国八十八箇所の太子像が並んでいます。
松戸神社
松戸宿鎮守。 江戸期には御嶽権現と称していて、古地図 (TOPの写真)の上中央あたりに記載されてます。
松戸神社本殿
松龍寺の鐘楼
元和年間(江戸初期)に松戸宿の南端に創建し、慶安3年(1650)に現在の場所に移転。かつては、かなり広い境内があったそうです。
■ 戸定公園
水戸街道・松戸宿から少し外れたところにある戸定公園にも行ってみました。
公園内には、徳川慶喜の弟で水戸藩主だった徳川昭武が明治になって住んだ「戸定邸」や資料館があります。
公園の入口
戸定邸の客間
客間
湯殿
浴槽は、当初は木製だったけど、昭和の初めのころにタイル張りになったそうです。 なんか、かなり狭い感じです。
御居間の丸窓
御居間は、後妻の斎藤八重さんの居間だったそうです。
江戸川の土手に出たところで、この日のウォーキング前半(松戸宿)が終了。
松戸駅から金町駅まで、歩いたコース全体は次のような感じ。 今日の記事はA~Bです。
A:松戸駅 (起点)
B:松戸宿
C:半田稲荷
D:葛西神社
E:金町駅 (終点)
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亀有香取神社の節分 [亀有のもろもろ]
節分の2月3日、地元の亀有香取神社でも節分の豆まきがありました。
初詣にも行った、地元の神社です。
香取慎吾さん主演で「こち亀」のテレビドラマでロケに使われたり、その後境内には両さん像ができたり、ここの神社は有名になった気がします。
といっても、新勝寺や浅草寺の超有名寺社のように、有名人はきてません。 地元の崇敬団体が中心です。
家に帰ってからは、家の豆まき。
東京でも、節分に恵方巻きを食べる人が増えてるようで、スーパーやコンビニで売ってるけど、うちは豆まきだけでした。 たぶん、ずっと豆まきだけのつもりです。
浅草寺と街歩き [東京周辺]
- 浅草寺 温座秘法陀羅尼会 -
地下鉄駅に貼ってある沿線イベントのポスター見てたら、浅草寺の「温座秘法陀羅尼会」(おんざひほうだらにえ)というのが目に止まりました。温座秘法陀羅尼会は1月12日から7日間の修法?で、最終日の夕方は、2人の鬼が松明を持ち、境内を回るそうです。
浅草寺は夕方に行けばいいんだけど、家は午前中に出て、築地を起点に浅草まで歩くことにしました。
■ 築地本願寺
築地駅を出るとすぐにあるのが築地本願寺。
ウォーキングのスタート地点です。
築地本願寺の建物は、京都の西本願寺をはじめ、日本にある他の寺院と違う印象を受けます。
公式HPによると、本堂の外観は「インド様式」だそうで、当初から浄土真宗のお寺として、建造したものだそうです。
■ 波除稲荷神社
築地場内に入る海幸橋の手前にある神社。 本殿の横に、築地ならではの変わった塚が並んでる。
「寿司は生物じゃないよなあ?」 なんて不思議に思って波除稲荷のホームページの塚の由縁を見たけど、寿司に限らず、どれも思ったのと違ってる。
(斜体小文字は波除稲荷のWebより抜粋です)
・ 末社
・ 玉子塚
寿司屋・料理屋等で、日々新鮮な玉子を大量に使用することで生業が成り立っている事に感謝し、使用した玉子への供養と古より如何に玉子が世に優れた食材であったかを人々に顕彰する為に建てられました。
・ すし塚
すしを調える為に包丁にしてきた魚の霊に 感謝をし慰め更にはすしが永久の食べ物として発展させていく決意の表明として立てられました。
・海老塚
てんぷら料理店の組合と海老卸により建立。天ぷらの食材に感謝し敬意をはらいその道の精進を重ねる意を、分けてもてんぷらを象徴する海老の供養の塚として建立されました。
・ 活魚塚
魚を食する事により人間が生かされているという八百万の神の御恵みを頂かなければ人間は生きてゆけない事に感謝しその事を多くの人々に知らしめる目的で建設されました。
・ 鮟鱇塚
魚河岸の仲買人により、商う鮟鱇の御霊を慰め又この鮟鱇の世にも美味なることを多くの世の人々に知らしめんとして建立されました。
波除神社の向かいにある鰹節屋さん。
いつも活気がある。
■ 築地場内
場内はゆっくり写真が撮れない。 市場の人にとって仕事場なので、撮ることに気が引けるってのもあるけど、通路で立ち止まると、ターレにひかれそうになったり、お店の人がぶちまける水で靴がグチャグチャになるからね。
■ 水神社
このあたりで昼食。
人気で行列のお店、空いてるお店、いろいろあるけど、人気の店に並んでるのは観光客。
時間とお金をかけたくないので、カレーですませます。
場外を通るとマグロの初セリで有名になった「喜代村」のお店があちこちにあります。
マグロ1本が、1億5千万円以上だったわけですが、喜代村が落札したためか、今年のニュースでは悪意っぽいのもあったような気がします。 「置いてあったのが、なんであんな値段になるんだ?」とか。
3年前まで落札してた九兵衛の時は、そんな話は聞かなかったような。九兵衛の評判だって、経営が代わってからはどうかと思うのが多いけど。
■ 勝鬨橋
隅田川の最下流に架かる勝鬨橋。 大型船が通れる跳上式だけど、今は上げることはないそうです。
勝鬨橋の袂に資料館があり、かつての状況を再建した模型がありました。 こんな光景を見てみたいもんです。
■ 電信創業の地
持ってた資料に記載がなかったけど、なんとなく撮ってみた。 帰ってグーグル検索すると「電信創業の地」を名乗るところは、日本国内で何箇所かあるみたい。
■ 専修大学発祥の地
築地から二重橋に向かってる時に、銀座の街中で発見。 母校でもないし、思い入れはないけど、こんな繁華街に学校があったのかと不思議でした。
■ 明治会堂跡
「専修大学発祥の地」の石碑からすぐ。 これは案内板だけ。 建物は現存していません。 「明治会堂」は、に福沢諭吉の発案により、明治14年建てられた会食もできる演説会場だそうです。
■ 二重橋 (皇居)
築地あたりから浅草に行くなら、皇居に立ち寄るのは遠回りになるけど、二重橋や東京駅周辺の橋を見たくて寄ってみた。
通勤で二重橋前駅を使ってたことがあるけど、ここに来たのは初めて。 晴れてて、皇居も周囲の景色もきれいでした。 写真は二重橋の手前にある、正門への橋です。
二重橋あたりから見る、丸の内・大手町の光景。 ここも昼は初めてきたんだけど、こんなにビルの眺めのいいところとは知らなかった。
ちなみに、この馬場下門あたり、夜間の照明が少なく、近くの日比谷公園よりずっと暗くなります。 ベンチもあるのでカップルにはうってつけのデートコースだけど、場所柄、巡回している警官が多く、カップルには人気がないようです。 警官が多いとなぜ人気がないのかは不明です。
皇居から東京駅へ。
通勤で二重橋駅を使ってたころ、このあたりは毎日通ってたんだけど、同じ場所の地下にある、行幸地下道を使うから、自分にとってこの光景は珍しい。
■ 日銀周辺
東京駅から外堀通りで日銀方面に移動。 日本橋川にかかる橋と河岸跡を見てきました。 このあたり、職場の近くだったけど、知らなかったことも多くて。
■ 一石橋
橋の北に金座の後藤屋敷、南に呉服の後藤邸。両方の後藤(五斗)をあわせて一石に、というのが名称の由来だそうです。
写真では暗くてよく見えないけど、左側に「満よひ子の志るべ」(迷子の道標)の石があります。
■ 常盤橋
一石橋を渡ると交差点があり、左にかかるのが常盤橋。
2連アーチの石橋です。
■ 常磐橋
存在自体、気がつかないような狭く暗い公園と外堀通りからその公園こにかかる、さびれた橋があります。
なんだか古くて整備されてない感じが、とても都心にある橋とは思えない。 この日は改修工事で通行止めでした。
さびれた「常磐橋」の存在を知ったのは、20年くらい前。 職場から神田まで、外堀通りを歩いて向かってる時でした。 今にも崩れそうな橋と、橋を渡ったところにある荒れた公園が、都心にあることが不思議でした。(「荒れた公園」は、事実はともかく、当時の印象)
さらに、「何で同じ名前の橋があるんだろう?」とも思ってました。
今回、この記事を書くのに調べてわかったけど、車の通れる「常盤橋」の「盤」は下部が「皿」、さびれた「常磐橋」は「石」なんですね。
■ 日銀新館
金融緩和への政治圧力で大変なんだろうな。
このあと、かつて東銀があった場所も通りました。 日銀と東銀、銀行への就職先として、ずば抜けて人気の2行だったけど、時間の流れを感じます。
■ 日本国道路元標
諸街道の起点です。
■ 日本橋魚河岸記念碑
かつて魚河岸があった場所にある記念碑。
近くのお寿司屋さんで「このあたり、以前は河岸があって・・・」って話を聞いたけど、河岸があったのは関東大震災まで。 その人の経験談じゃなかったようです。
■ 日本橋 ~ 浅草
このあたりからは、浅草まで回り道せず歩きます。
■ 椙森神社
日本橋堀留町。 衣類や生地の問屋さんがたくさんあります。
■ 浅草橋駅あたり
神田側には屋形船が留まってる。
浅草橋は、かつて高砂部屋があり、移転後の場所に入った居酒屋さんによく行ってました。
■ 浅草
4時ころ浅草に到着。 築地のスタートが10時だったから、歩いたのは6時間くらい。
■ 駒形堂
駒形橋の西詰、浅草寺草創ゆかりの地にあるお堂です。
ここまで来れば、浅草寺はあと少し。
■ 雷門
雷門と仲見世は、いつも人が多い。
■ 仲見世
■ 宝蔵門
■ 浅草寺境内からスカイツリー
■ 白波五人男
伝法院通りにあるお店の壁などに、歌舞伎「白波五人男」の盗賊たちの人形があります。 ただ、この1体だけは移動式。 前は、どこにいるかわからず見ることができませんでした。 今回はほんと偶然に。
■ 浅草寺 温座秘法陀羅尼会
温座秘法陀羅尼会は法要が5時から。 約1時間法要があり、その後、松明を持った鬼が登場。
本堂内の照明が消え、2人の鬼が奥から登場します。
本堂前の石段を降りる鬼。
鬼は宝蔵門まで回ります。
時々、持ってる松明を地面に打ちつけ、炭を落とします。 これを拾うとご利益があるとか。
後ろの鬼は、打ち過ぎたのか、早々に消火してしまった。
何もなくても人の多い浅草寺のイベントなんだから、こんな時の観客はたくさんいるかと思いきや、案外そうでもなく、松明を持った鬼を間近に見ることができました。
都内のよく知ったところも、あらためて歩いてみると、新たな発見も多いですね。 メタボの解消にも、少しだけ役立ちます。