懐古 - 九段下 [東京周辺]
20年~30年くらい前の記憶を頼りに、お茶の水~九段の懐かしい場所を歩いた記録の続き、今回は九段下です。
九段会館
軍の予備役の訓練と宿泊を目的に、昭和9年に落成した建物。 2年後の226事件の時に、戒厳司令部が置かれたり、その4年後に大政翼賛会の結成式があったり、いくつかの政治の舞台にもなってたところです。
戦後は日本遺族会が、ホテルやレストランを運営していて、私は昼食でたまに使ってました。
2年前の震災で死傷者が出たため、営業は中止しています。
午前が研数学館で講義。 午後は九段下の千代田区図書館に行くのが、予備校時代の日課でした。
九段会館の向かって左側に、千代田区役所と図書館がありましたが、その場所はビルの建替中。 役所と図書館は斜め前のビルに移転してました。
九段郵便局
入試の願書もここから出したはず。
ここと、裏の官舎は昔のままだと思います。(郵政民営化で「官舎」ではなくなったかもしれませんが)
九段郵便局の裏に、「若喜旅館」ってビジネス旅館があって、1Fにしゃぶしゃぶ屋さんがあり、ランチでたまに行ってました。
今は駐車場になってます。
お店の人には何かと親切にしてもらったんだけど、移転じゃなく廃業みたいだし、今はどうしてるんだろうって思うことがあります。
拡声器を持った複数のお年寄りから、罵声を毎日浴びせられてる銀行が九段下にありました。
ターゲットは、この場所にあった日本債券信用銀行。
(日本債券信用銀行は、1998年経営破綻し、現在はあおぞら銀行)
その人たちは、終戦前の朝鮮銀行か台湾銀行への預金者のようで、主張は終戦時の両行の清算で十分な返金がなかったので、お金を返せというもの。 日債銀は旧朝鮮銀行の残余財産を資本として設立されたことから、街宣の対象になってたみたい。
(朝鮮銀行は、現在の朝銀ではなく、終戦まで朝鮮半島を拠点としていた日本の銀行)
真実はわからないけど、世間を知らない予備校生には、このような街宣が公然と行われてるのが、あまりに刺激的な光景でした。 日債銀のビルは、建て替えになり、銀行以外の会社がテナントになってました。
太陽神戸銀行の本部があったビル。 くぼみのある特徴的なビルは当時のままだけど、あおぞら銀行の本部になってます。
太陽神戸銀行はその後合併と称号変更により「太陽神戸三井銀行」「さくら銀行」「三井住友銀行」へと変遷しています。
北の丸公園の入口から、九段会館方面です。
白い建物は「昭和館」
戦中・戦後の国民生活について、資料・情報を展示している施設です。
これは当時はなかったと思います。
お茶の水 ~神保町 ~水道橋 ~九段下あたり、金融機関以外は変わってない感じでした。
「さぼうる」や「珈琲館」も、近いうち行ってみようと思ってます。
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懐古 - 神保町 [東京周辺]
お茶の水~九段で、懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回は神保町です。
最初はいろいろな本屋さんから。
書泉グランデ
高校~大学時代にもっともよく通った本屋さん。
高校生の頃、書泉グランデのこげ茶色のブックカバーのついてる本を持ってる学生さんが、なんだか大人に見えたのが使い始めたきっかけだったような。
本屋さんはそのまま残ってるけど、最近、あのブックカバーを使ってる人は、すっかり見なくなってしまいました。
三省堂書店
書店としては古くからあったようだけど、私が書店として認識したのは、この建物ができた時。 いつだろう。
ブックカバーだけのことで書泉グランドびいきだった私は、探してる本が書泉にないときだけ三省堂にきてました。
「辞書は三省堂」ってテレビコマーシャルも、最近は見てないですね。
芳賀書店
水道橋の記事で少しふれたけど、「エロ本」を超える当時の新たなジャンル「ビニ本」販売の有名店として、一世風靡した本屋さん。
このジャンルで数十年。
すばらしい !!
神田古書センター
「古本屋さんが何軒か集まりビルになった」って、当時は話題になりました。 でも、いつできたか、あんまり覚えてない。 高校生~大学生のどこかだな。きっと。
当時、古書を探す趣味はなかったけど、このビルのことはなんとなく覚えていて、「なんでだろーなあ」なんて思いながら、テナントの看板を見ると。
あ! そうだ !!
カレー屋があったんだ。
いもや (天丼・天ぷら定食)
たまに来てました。
昼はいつも大混雑。
今回、お店に入ったけど、ここで写真撮るのは勇気がいりますね。
写真は天丼屋の「いもや」。 定食のお店は近くの別のところにあります。
さぼうる
店の入口にトーテムポールがあり、店内もジャングルのようだった 「さぼうる」。
(たぶん) 建て替えもなく、当時のまま存在してました。
さぼうる2
「さぼうる2」は、あるときいつのまにか出来たんだけど、それもすごく昔。 今も残ってました。
珈琲館 専大前本店
スタバやドトールがなかった30年前、コーヒー店チェーンというと「珈琲館」でした。
ここは「専大前本店」。会社も(UCCの子会社になって)存続し、お店の統廃合もなく残ってました。
この記事書いてて「キッチン南海」とか「キッチン ジロー」なんてのもあったなー、って思いだしてきました。
今度、行ってみようと思います。
懐古 - お茶の水 [東京周辺]
就職してからあまり行くことがなくなった駿河台周辺。 だけど、お茶の水にある英語学校に通い始めたことで、かつて行ってたお店の事とかを思い出してきました。 懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回はお茶の水です。
就職してからほとんど行かなくなった水道橋や九段あたりと違って、お茶の水は自宅からの最寄駅の通る千代田線と同じ路線で、JR中央線との乗換で使うことから、就職してからもわりと立ち寄ってました。
東京復活大聖堂 通称:ニコライ堂
「東京復活大聖堂の入口で待ちあわせ」なんて言っても、たいていの人は、どこだかわかりません。 ニコライ堂です。
今回の記事で、唯一30年以上前から残ってる建物でした。
カザルスホール
(お茶ノ水スクエア)
ここには、主婦の友社って古いビルがあったけど、1987年に建て替えし今のビルになりました。
出来たばかりのころ、国内初の室内楽専用「カザルスホール」がなんだかおしゃれな感じがして、ここのコンサートに行きたいって理由だけで、何の演奏かよくわからないままチケットを買ったことがあります。
今は日本大学の所有になってるそうです。
明治大学リバティタワー
母校じゃないけど、建て替え前の明治大学生協には、ちょくちょく行ってました。当時(今でも)本は再販商品だけど、ここの生協で買うと10%だか20%だか率は忘れたけど割引があったので。
一般的に生協は、出資した組合員じゃないと購入できないとこが多いけど、それはどうクリアしてたのかな。 記憶にない。でも、明大生協には就職してからも、スーツで行ってたりしたから、組合員のチェックはなかったか、甘かったのかもしれません。
日立製作所に勤務してる友人と飲む時は、お茶の水が多かったな。。。と思って、日立のビルを探したけどなかった。 たぶん、このあたり。
帰ってからネットで調べたら、お茶の水に日立製作所の本社はもうないんですね。 当時の社屋も取り壊し済だそうです。
JAZZ LIVEHOUSE NARU
お茶の水駅に近いJAZZのライブハウス。 でも、私の記憶する「NARU」は、代ゼミに通ってた現役のころ、駅近くでランチを食べるお店でした。その代々木のNARUが、あるとき、お茶ノ水に移転し代々木の店を閉め、私は気に入ってたランチのお店がなくなり、寂しい思いをした記憶があります。
お茶の水に移転してからは、前を通っても入ったことがないんだけど、ここのホームページを見ると、NARUは「ジャズ ライブハウス」なんですね。 それと、いつのまにか代々木にも復帰して同じくジャズライブハウスになってる。
でも、当時の印象で、JAZZとかライブハウスと結びつくものは全くないんだよね。昼食はシェーキーズにしようか、NARUにしようか、とかそんな感じだった。 お酒飲んでライブを聞くような年齢じゃなかったかもしれないけど。
山の上ホテル
駿河台一丁目の交差点から見ると、低い建物だったような。
増築なのか改築なのかわからないけど、ホテルの様子が変わってしまった。
カザルスホールのあるお茶ノ水スクエアは、所有が主婦の友社から日本大学に移り、図書館として使われていました。 前回の記事にした研数学館の建物も、日本大学が使用しています。 明治大学生協のあった場所は、高層ビルのキャンパスになってます。
私の印象だと、大学キャンパスは都心を離れ、八王子、川崎、所沢といった郊外へ移転を進めてると思ってたけど、このあたりの大学校舎は移転して減るどころか、増えてるのが意外でした。
続きます。
懐古 - 水道橋 [東京周辺]
お茶ノ水~九段下あたりは、予備校時代の昼間の居場所でした。 大学のころもたまに行くことがあったけど、社会人になって以降は、さっぱり用事がなくなり約30年。
ところが今年になって、お茶ノ水駅近くの英語学校に通い始めたことで、当時のいろいろな記憶がよみがえってきました。
数日前、講義の前に、周辺を歩いてきた記事を、エリアごとに書いてみます。
同じ世代の人で、このあたりでブラブラしてた人には、懐かしいと思うお店があるかもしれません。 ただ、まだ未成年だったころの話なので、お酒の出るお店は入ってません。
エリアを4つ(御茶ノ水・神保町・水道橋・九段)に分けて記事にしますが、この4つは明確に分けられるものでもなく、かなり主観によるものです。 今回は水道橋から。
お茶ノ水~九段にかけて、最も多く足を運んだのは、予備校で1年間通った研数学館でした。 水道橋駅から神保町交差点方面に歩くと、すぐ右側にあります。
当時から古いと思ってた建物は今も健在。 だけど、予備校業は10年以上前にやめてしまったようです。
TONYレコード
「あ !! まだあったんだ」
と思った中古レコード店
予備校生にとって、中古とはいえレコードは安いものではなく、のぞくことはあっても買った記憶のないお店。 雰囲気は当時のままだけど、店内では当時なかったCDを売ってました。
レコード社
ここもたまに寄ってました。 何を探してたのか、記憶にないけど。
中古レコード店は、このあたりより、高田馬場にあったお店に行ってたんだよね。
(たぶん)このお店のあたりに「芳賀書店」があったはず。
どんな本屋かあえて書かないけど、当時は男性だれもが知ってるような有名店でした。
行ったことあるような、ないような。 すでに記憶にないな。
神保町に本店があり、そこは今も営業してました。
研数学館の近くにある喫茶店によく行ってました。
記憶に残ってる場所と古さから、たぶんここ「神田白十字」なんだけど、店名の記憶がはっきりしないので、ひょっとしたら違うかもしれません。
水道橋あたり、揚げたて天ぷらのある立ち食い蕎麦屋がいくつかあり、ほぼ毎日通ってるお店がこのあたり(専修大学付近)にありました。
店のおやじが、その日の出汁の出来が気になると、食べてどうかって聞かれるくらいの馴染みだったけど、このあたりに来なくなってから、すごく久々に通った時、店ごとなくなりビルになってました。
カトリック神田教会
この存在を認識したのは、つい最近。英語の学校に行き始めてから。
研数学館から近いんだけど、当時はキリスト教や教会建築に興味がなかったから、記憶に残ってなかったのかもしれません。
お茶の水から水道橋の間には、石段の坂道が2つあります。
お茶ノ水から水道橋に行く時、その逆もそうだけど、この坂の入口はよくわからないところにあって、水道橋から何となくお茶ノ水の方向に向かい、細い路地に入ると、どっちかの坂の下に出ます。 どっちに出るかは、いつもその時次第。
↑ 男坂の上 (お茶ノ水側から)
← 男坂の下 (水道橋側から)
階段がまっすぐなのが男坂
↑ 女坂の上 (お茶ノ水側から)
← 女坂の下 (水道橋側から)
階段の途中が曲がってるのが女坂
研数学館のビルや中古レコード店が、今も当時のまま残ってるのは意外でした。 忘れてたはずの記憶が甦り、懐かしかったです。
続きます。
亀戸天神社 - うそ替神事 [東京周辺]
亀戸天神社で1月にあった「うそ替神事」に行ってきました。
「うそ替神事」というと、九州の大宰府天満宮が有名ですが、亀戸天神社は菅原道真をお祀りしており、太宰府天満宮を本社としていることから、同じ神事が行われているようです。
かわいらしい木彫りになっている鳥が「うそ」で、新年に交換すると、前年の悪しき事が“うそ”になり一年の吉兆を招くことができると信仰されていたそうです。
参拝者同士でうそ鳥を交換するのが「うそ替神事」の本来のやりかたで、太宰府天満宮では今でもそうしているようですが、亀戸天神社では、前年までのうそを神社に納め、新しいうそ鳥を買うことになっています。買うことができるのは1月24日と25日の2日間だけです。
昼過ぎに行ったんですが、うそを買うための行列がすごく、どのくらい待つのか予想もできなかったので、そのまま帰ってきました。
上の写真は、納所です。 きれいに並べられてました。
浅草寺と街歩き [東京周辺]
- 浅草寺 温座秘法陀羅尼会 -
地下鉄駅に貼ってある沿線イベントのポスター見てたら、浅草寺の「温座秘法陀羅尼会」(おんざひほうだらにえ)というのが目に止まりました。温座秘法陀羅尼会は1月12日から7日間の修法?で、最終日の夕方は、2人の鬼が松明を持ち、境内を回るそうです。
浅草寺は夕方に行けばいいんだけど、家は午前中に出て、築地を起点に浅草まで歩くことにしました。
■ 築地本願寺
築地駅を出るとすぐにあるのが築地本願寺。
ウォーキングのスタート地点です。
築地本願寺の建物は、京都の西本願寺をはじめ、日本にある他の寺院と違う印象を受けます。
公式HPによると、本堂の外観は「インド様式」だそうで、当初から浄土真宗のお寺として、建造したものだそうです。
■ 波除稲荷神社
築地場内に入る海幸橋の手前にある神社。 本殿の横に、築地ならではの変わった塚が並んでる。
「寿司は生物じゃないよなあ?」 なんて不思議に思って波除稲荷のホームページの塚の由縁を見たけど、寿司に限らず、どれも思ったのと違ってる。
(斜体小文字は波除稲荷のWebより抜粋です)
・ 末社
・ 玉子塚
寿司屋・料理屋等で、日々新鮮な玉子を大量に使用することで生業が成り立っている事に感謝し、使用した玉子への供養と古より如何に玉子が世に優れた食材であったかを人々に顕彰する為に建てられました。
・ すし塚
すしを調える為に包丁にしてきた魚の霊に 感謝をし慰め更にはすしが永久の食べ物として発展させていく決意の表明として立てられました。
・海老塚
てんぷら料理店の組合と海老卸により建立。天ぷらの食材に感謝し敬意をはらいその道の精進を重ねる意を、分けてもてんぷらを象徴する海老の供養の塚として建立されました。
・ 活魚塚
魚を食する事により人間が生かされているという八百万の神の御恵みを頂かなければ人間は生きてゆけない事に感謝しその事を多くの人々に知らしめる目的で建設されました。
・ 鮟鱇塚
魚河岸の仲買人により、商う鮟鱇の御霊を慰め又この鮟鱇の世にも美味なることを多くの世の人々に知らしめんとして建立されました。
波除神社の向かいにある鰹節屋さん。
いつも活気がある。
■ 築地場内
場内はゆっくり写真が撮れない。 市場の人にとって仕事場なので、撮ることに気が引けるってのもあるけど、通路で立ち止まると、ターレにひかれそうになったり、お店の人がぶちまける水で靴がグチャグチャになるからね。
■ 水神社
このあたりで昼食。
人気で行列のお店、空いてるお店、いろいろあるけど、人気の店に並んでるのは観光客。
時間とお金をかけたくないので、カレーですませます。
場外を通るとマグロの初セリで有名になった「喜代村」のお店があちこちにあります。
マグロ1本が、1億5千万円以上だったわけですが、喜代村が落札したためか、今年のニュースでは悪意っぽいのもあったような気がします。 「置いてあったのが、なんであんな値段になるんだ?」とか。
3年前まで落札してた九兵衛の時は、そんな話は聞かなかったような。九兵衛の評判だって、経営が代わってからはどうかと思うのが多いけど。
■ 勝鬨橋
隅田川の最下流に架かる勝鬨橋。 大型船が通れる跳上式だけど、今は上げることはないそうです。
勝鬨橋の袂に資料館があり、かつての状況を再建した模型がありました。 こんな光景を見てみたいもんです。
■ 電信創業の地
持ってた資料に記載がなかったけど、なんとなく撮ってみた。 帰ってグーグル検索すると「電信創業の地」を名乗るところは、日本国内で何箇所かあるみたい。
■ 専修大学発祥の地
築地から二重橋に向かってる時に、銀座の街中で発見。 母校でもないし、思い入れはないけど、こんな繁華街に学校があったのかと不思議でした。
■ 明治会堂跡
「専修大学発祥の地」の石碑からすぐ。 これは案内板だけ。 建物は現存していません。 「明治会堂」は、に福沢諭吉の発案により、明治14年建てられた会食もできる演説会場だそうです。
■ 二重橋 (皇居)
築地あたりから浅草に行くなら、皇居に立ち寄るのは遠回りになるけど、二重橋や東京駅周辺の橋を見たくて寄ってみた。
通勤で二重橋前駅を使ってたことがあるけど、ここに来たのは初めて。 晴れてて、皇居も周囲の景色もきれいでした。 写真は二重橋の手前にある、正門への橋です。
二重橋あたりから見る、丸の内・大手町の光景。 ここも昼は初めてきたんだけど、こんなにビルの眺めのいいところとは知らなかった。
ちなみに、この馬場下門あたり、夜間の照明が少なく、近くの日比谷公園よりずっと暗くなります。 ベンチもあるのでカップルにはうってつけのデートコースだけど、場所柄、巡回している警官が多く、カップルには人気がないようです。 警官が多いとなぜ人気がないのかは不明です。
皇居から東京駅へ。
通勤で二重橋駅を使ってたころ、このあたりは毎日通ってたんだけど、同じ場所の地下にある、行幸地下道を使うから、自分にとってこの光景は珍しい。
■ 日銀周辺
東京駅から外堀通りで日銀方面に移動。 日本橋川にかかる橋と河岸跡を見てきました。 このあたり、職場の近くだったけど、知らなかったことも多くて。
■ 一石橋
橋の北に金座の後藤屋敷、南に呉服の後藤邸。両方の後藤(五斗)をあわせて一石に、というのが名称の由来だそうです。
写真では暗くてよく見えないけど、左側に「満よひ子の志るべ」(迷子の道標)の石があります。
■ 常盤橋
一石橋を渡ると交差点があり、左にかかるのが常盤橋。
2連アーチの石橋です。
■ 常磐橋
存在自体、気がつかないような狭く暗い公園と外堀通りからその公園こにかかる、さびれた橋があります。
なんだか古くて整備されてない感じが、とても都心にある橋とは思えない。 この日は改修工事で通行止めでした。
さびれた「常磐橋」の存在を知ったのは、20年くらい前。 職場から神田まで、外堀通りを歩いて向かってる時でした。 今にも崩れそうな橋と、橋を渡ったところにある荒れた公園が、都心にあることが不思議でした。(「荒れた公園」は、事実はともかく、当時の印象)
さらに、「何で同じ名前の橋があるんだろう?」とも思ってました。
今回、この記事を書くのに調べてわかったけど、車の通れる「常盤橋」の「盤」は下部が「皿」、さびれた「常磐橋」は「石」なんですね。
■ 日銀新館
金融緩和への政治圧力で大変なんだろうな。
このあと、かつて東銀があった場所も通りました。 日銀と東銀、銀行への就職先として、ずば抜けて人気の2行だったけど、時間の流れを感じます。
■ 日本国道路元標
諸街道の起点です。
■ 日本橋魚河岸記念碑
かつて魚河岸があった場所にある記念碑。
近くのお寿司屋さんで「このあたり、以前は河岸があって・・・」って話を聞いたけど、河岸があったのは関東大震災まで。 その人の経験談じゃなかったようです。
■ 日本橋 ~ 浅草
このあたりからは、浅草まで回り道せず歩きます。
■ 椙森神社
日本橋堀留町。 衣類や生地の問屋さんがたくさんあります。
■ 浅草橋駅あたり
神田側には屋形船が留まってる。
浅草橋は、かつて高砂部屋があり、移転後の場所に入った居酒屋さんによく行ってました。
■ 浅草
4時ころ浅草に到着。 築地のスタートが10時だったから、歩いたのは6時間くらい。
■ 駒形堂
駒形橋の西詰、浅草寺草創ゆかりの地にあるお堂です。
ここまで来れば、浅草寺はあと少し。
■ 雷門
雷門と仲見世は、いつも人が多い。
■ 仲見世
■ 宝蔵門
■ 浅草寺境内からスカイツリー
■ 白波五人男
伝法院通りにあるお店の壁などに、歌舞伎「白波五人男」の盗賊たちの人形があります。 ただ、この1体だけは移動式。 前は、どこにいるかわからず見ることができませんでした。 今回はほんと偶然に。
■ 浅草寺 温座秘法陀羅尼会
温座秘法陀羅尼会は法要が5時から。 約1時間法要があり、その後、松明を持った鬼が登場。
本堂内の照明が消え、2人の鬼が奥から登場します。
本堂前の石段を降りる鬼。
鬼は宝蔵門まで回ります。
時々、持ってる松明を地面に打ちつけ、炭を落とします。 これを拾うとご利益があるとか。
後ろの鬼は、打ち過ぎたのか、早々に消火してしまった。
何もなくても人の多い浅草寺のイベントなんだから、こんな時の観客はたくさんいるかと思いきや、案外そうでもなく、松明を持った鬼を間近に見ることができました。
都内のよく知ったところも、あらためて歩いてみると、新たな発見も多いですね。 メタボの解消にも、少しだけ役立ちます。
浅草寺の羽子板市 [東京周辺]
今年も今日を入れてあと4日。
今年のことは、今年のうちにということで、18日に行った羽子板市の写真です。
子供のころの自分にとって「羽子板」とは、童謡にある通り、お正月に女の子が着物で羽根突きするもの。 だから、羽子板市の光景をニュースで見ると、振り回すには不向きな大きさと装飾の羽子板を不思議に思ってました。
いつも人の多い浅草寺。 羽子板市となればなおさら。 かと思ったけど、門前はいつもと同じくらいの混雑でした。
スカイツリーと合わせて撮れないかと探したけど、なかなかいいアングルがありません。
買って帰っても、うちには置いてサマになる床の間もないので見物だけでした。
恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーション [東京周辺]
恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションを見てきました。
この時期、このイルミネーションや世界最大級のシャンデリアを見るため、たくさんのカップルがここに来るけど、私は近くの寿司屋に行った帰りに、どんなものかと寄ってみただけ。 期待せず、楽しみにしてたわけじゃないけど、ひさびさに見るイルミネーションはきれいで楽しめました。
話は変わって、この日に行った寿司屋のこと。
2年くらい前に、亀有にあった行きつけのお寿司屋さんが閉店してから、私はあまりお寿司を食べなくなってました。 たまに誘われ、職場近くの寿司屋に入っても、通いたくなるお店はできません。
そんな折、ちょっとしたツテで知ったこの日のお店は、とても自分に合ってました。 ただ、恵比寿だから、うちから遠んですよね。電車と徒歩で1時間くらいかかってしまう。地元のお店のように思いついてすぐとはいかないけど、寿司を食べたいときは、遠くても恵比寿まで行きたいと思ってます。
この日、お店に行ったのが1回目だったので、いきなりカメラを取り出すのも気が引け、写真がありません。 お店の紹介はまた後日、2回目の訪問以降にします。
深川八幡 - 神輿連合渡御 [東京周辺]
富岡八幡宮の例大祭、神輿連合渡御を見てきました。行ったのは混雑しそうな門前仲町ではなく、隅田川を挟んだ箱崎周辺。このあたりは、予想していた通り、そんなに混雑していませんでした。
神輿連合渡御は「水かけ祭り」
富岡八幡の連合渡御は「水かけ祭り」とも呼ばれているそうです。
沿道に住んでる人、職場のあるみなさん、この水かけには想像していた以上の気合が入ってました。
神輿が近づいてきました。
見ていた場所は、うちがたまに中華食材を購入する箱崎の古樹軒の前にいました。
水天宮駅を降りて、ここに来るまで、道路のあちこちで、バケツに水を入れた人が待機してて「ああ、神輿にかけるんだな」って思ったけど、ここは気合の入れ方が違う!!
お店の入口近くに、巨大な水槽が2つ。
水槽にプールしていた水をポリバケツに汲み取り、神輿に土砂降りのように水をかけます。
この巨大な水槽は、水をストックしておくだけじゃなく、別の用途でも使われます。
顔見知りの人が通ると、引っ張り込んで沈められます。
神輿をかついでいる人たちは、ここを通るまでに、さんざん水を浴びてきているので、今さら濡れて困る様子は全くなく。
うつ伏せ状で頭を水槽の中に入れてる人がいるけど。
お祭りですね!
場所を移動すると、ここでも巨大な水槽のようなもの。
これは何だろう。防災用品の何かのような気がする。
そして極めつけは、これ!!
構えて・・・
発射!!
わかるとは思いますが、火事があったわけじゃありません。
消防団チームの水かけです。
放水銃を持ってた人は、放水の角度やノズルの操作について、年配の団員から指示を受けていました。
祭りを利用した一石二鳥の放水訓練かもしれません。
神輿は続く
神輿も担ぎ手も水浸し。道路も水浸し。
近くで写真を撮ってると、寒くなるくらい服も水をかぶりましたが、奇跡的にもカメラは濡れずにすみました。
以下、古樹軒前での写真です。
スカイツリー [東京周辺]
<隅田公園 - CX2>
隅田公園へ桜見物と旧レンズのテストに行ったのは、桜が満開になっていた4月10日。翌日の水曜日は雨が降ったので、都内での花見はこの日がベストだったと思います。
隅田公園へは押上駅から開業前のスカイツリーを通って行きました。
建物が完成し開業前から賑わってるスカイツリー。ニュースで見ても、あまり興味を持たなかったけど、近くでも見ると、その大きさに驚きました。
高さ600m。
近くではD300とは別に持って行ったCX2(コンデジ)では、縦にしても全体が写らず、桜を撮るつもりで持っていた元フィッシュアイが役に立ちました。
隅田公園で写真を撮った後は昼食。
久々にグリルグランドに行ってみると満席でした。11時半の開店から10分もたってないのに。夜、予約して行くことしかなかったから、満席で帰ることはなかったし、ランチでも人気店とは知らなかったよ。
浅草寺を通って「ぱいち」に向かいます。
「ぱいち」はビーフシテューが有名なお店。
ここも夜しか来たことがなくて、いつもはビールとビーフシチューを注文するけど、この時はランチセットにしました。
満開の桜、スカイツリー、おいしいランチ。(しかも平日)
浅草を満喫しました。