修正鬼会-2 (国東旅行7) [大分]
2月の国東旅行の続き。 旅行の目的にしていた、天念寺の「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」の続きです。
■ タイアゲ夜の勤行 (8時くらい)
「タイアゲ夜の勤行」は、大きな松明を天念寺の3つあるお堂の前に立てる勤行です。
川の向こうにある大きな焚火から、大きな松明が本堂の前まで運ばれます。
松明は10人以上の人に担がれてます。 写真には写ってないけど、松明の下には背負うように人が入っていて「熱いよ~ 熱いよ~」って声が聞こえてきました。
松明は3本。 立てる前に、これが激突します。
松明を本堂前の石段にバタンバタンと打ち付けてるところ。
松明を担いでた人は、本当に熱いと思います。 大きな松明で火力もかなりのもののはず。 その燃え盛ってるところの下で支えてるんだからね。
■ 鬼の目餅撒き (10時くらい)
「鬼の目餅撒き」って行法があり、これは鬼の目といわれる大きな餅を、参拝者に向かって投げ、餅を拾った人は縁起がいいとされてるそうです。 餅の奪い合いは壮絶なようで、地元の人らしき次のような会話が聞こえてきました。
Aさん「お餅、拾ってきてよ。」
Bさん「嫌だよ。危ないのに。」
Aさんは子供を連れたお母さん。 Bさんは松明を担いでたような服装の若い男性で、体の頑丈そうな人。 そんな人にすら「危ないから嫌だ」と言わせてしまうほどの荒っぽさとは。
餅撒きは見てただけだけど、あっという間に終わりました。流血もあるくらいの激しい奪い合いを期待してたけど、まあそこまでじゃなかった。 もちろん、自分は参加してなくて良かったとは思うけど。
餅を撒いた後、鬼が松明を持って暴れる行法が始まります。
二鬼が登場。 災払い鬼(赤鬼)と荒鬼(黒鬼)
松明は鬼以外の人も持ちます。
天念寺本堂の回廊に、一定間隔で松明を持った人が立ちます。
そのうち、回廊から見物してる人が出されます。 ほとんどの人は堂内に。 入りきらない人は、回廊の外側に。写真は堂内に押し込められた人々。
回廊に鬼と松明を持った人が現れます。
松明を振り回すダンスが始まります。 松明は振り回すだけじゃなく、上の板に打ち付けるもんだから、ものすごく火の粉が散ります。 こんなんだと知らず堂内にいた人は、逃げまどい、ほぼパニック。
堂内にも入ってみた。
普通なら最前列で見ることができるのはラッキーなんだけど、ここはそうでもない。 狭いところにたくさんの観客が押し込められ、逃げるところがない。 火の粉を被るのは、あきらめるしかなかったです。
このお祭りにダウンを着ていくと、こんなことになります。 ホテルに戻った時、炭の固まりが表地のナイロンに貼りついてるのを見た時は、ほんとにトホホな気になりました。
修正鬼会が終わったのは11時前。
寒かったけど、楽しいお祭りでした。
続きます。
修正鬼会-1 (国東旅行6) [大分]
2月の国東旅行の続き。 今回は旅行の目的にしていた、天念寺の「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」の記事です。
修正鬼会は六郷満山に千年以上前から伝わる宗教行事で、国家安穏、万民快楽(げらく)、五穀豊穣を記念するそうです。 以前は六郷満山のどこのお寺でも行われていたそうですが、今は豊後高田市と国東市のそれぞれ1カ所、 合わせて2か所のお寺で行われているお祭りです。
豊後高田市は毎年「天念寺」、国東市では「岩戸寺」と「成仏寺」とで年ごとに交互に行われています。
私は豊後高田に泊まったので、天念寺に行ってきました。
■ 垢離取り(こうりとり)
垢離取りは、天念寺前の長岩屋川にある磨崖仏「川中不動」で、荒鬼・災払い鬼役の僧とテレイシ(介錯)が身を清める行法です。
始まったのは、日も暮れた6時すぎ。 2月の夜、ダウンジャケット着てても寒い日だったから、川に入った人はとんでもなく寒かったんじゃないかな。
この写真は、天念寺前の長岩屋川にかかる橋から撮ったんだけど、ちょっと残念なことがありました。橋の上で三脚を立て、垢離取りが始まるのを待ってる写真が趣味らしきお年寄りグループがいたんだけど、その中の1人「うーん、紙垂(しで)が入っちゃうなあ」。
橋の欄干に沿って荒縄が張ってあり、ところどころに紙垂(注連縄にぶら下げる白い紙)がついてる。これがちょうど立てた三脚の前にあるもんだから、画面に入ってしまうらしい。
それを聞いたグループのリーダーらしき人、「取ればいいんだよ。こんなもの」と言って、いきなりちぎって、隣の人の目の前に付けようとする。でも、でも隣の人も、文句言いますよね。撮影に邪魔だからって、他の人の30cmくらい目の前の荒縄にぶらさげようとするんだから。 そもそも、宗教行事を見に来てるのに、撮影のためにちぎったことに、怒ってたんだと思う。 そしたら、そこはあきらめ、今度は反対側隣に付けようとする。
でもね、私は不思議だったんですよ。あらかじめ、何かの方法で荒縄に付けられてた紙垂を剥がしておいて、糊やセロテープもなくどうやって再びつけるんだろう?
そして荒縄の目に押しつけたみたいだったけど、荒縄と紙がそんなことで付くわけない。 案の定というか、紙垂はすぐに川面に落ちて行きました。 なんだかねー
写真を撮る人のマナーがどうとかって話は、私が海(スキューバ)で写真を撮ってる頃にもありました。 マナーって言われてるものの多くは、ローカル・ルールが多く、地域によって違ってたり、小さい単位だとダイビングショップ( = オーナーさんの考え方)によって違ってたり。 そしてその違いが、イザコザのもとにもなったりしてました。 みんな、自分の知ってるルールが、どこでも通用する正しいものだと思ってるんだよね。
今回のはマナー以前のことで、マズイことだと思うけど、困ったことに、このお年寄り達、人はいいんですよね。 この後の行法でたまたま隣に立ってた時に、修業鬼会のこととか教えてくれたり、全く悪気がない。 その人たちの事、どう考えていいのやら、複雑でした。
このあと、しばらく車に戻って暖をとり,8時から始まる「タイアゲ夜の勤行」に備えました。
続きます。
豊後高田の居酒屋 (国東旅行5) [大分]
前回(昨年秋)の旅行で豊後高田に来た時の夕食は、串揚げ屋さんでした。 この時は、前日の宿が下関、その前が広島で、さんざん刺身を食べてたので、居酒屋以外のお店にしたんだけど、その後も大分県内では居酒屋には入らなかったので、豊後水道の魚を食べられなかったことが心残りになってました。
今回は地魚と焼酎で気持ちよくいきたいとこだけど、今回の旅行の目的にしていた天念寺の「修正鬼会」は、夜6時ころから12時近くまで。 天念寺は車じゃないと行けないので飲めない。
なので、豊後高田に着くまでは、夜の居酒屋はあきらめてて、どこかファミレスみたいなとこで簡単にって思ってたけど、ホテルにチェックインしてからは、やっぱりサカナのある店に行きたくなる。
飲めないけど居酒屋にするか、あきらめてファミレスにするか。迷ったけど居酒屋「聖」さんに行きました。
最初は刺身
大分の居酒屋はいい。
うまいです。
地物以外もあるけど、観光客ばかりじゃないお店なら、ままあること。
次に焼き物
冷蔵庫の様子
ゆっくりできるなら、食べたいものがあったんだけど。
目の前には焼酎の一升瓶
大分の寿司屋の大将が絶賛してた「兼八」が置いてある。
お茶漬けでシメ
席の予約をした時に「夜はお祭りに行くので長居はできないし、1人は飲めない」って話したので、お店の人は「修正鬼会」のことだってわかってたみたい。
お店では「修正鬼会」について、天念寺(豊後高田市)と岩戸寺(国東市)と、どっちに行くのがいいかとか、何時頃行けばいいのかとか、いろいろ情報を聞いてたんだけど、奥さんが、このお祭りのために市内と天念寺とを往復するバスが出てたことを思い出してくれました。
「やった!! そんな便利なバスがあるんなら、飲んで食っても大丈夫じゃないか!!」
でも、それはぬか喜び。 奥さんが市役所に電話して、バスの運行を聞いてくれたけど、なんと今年は出てないとか。
このあと、修正鬼会のある天念寺に向かいます。
続きます。
タグ:豊後高田
昭和ロマン蔵 (国東旅行4) [大分]
豊後高田市で町並みを保存している昭和の町には、「昭和ロマン蔵」というテーマパークがあります。 ここは野村財閥が所有した米蔵を、博物館・美術館として使用していて、中庭など車が展示してあるエリアや展示室のいくつかは無料で、それとは別に有料の施設が4カ所ほどあります。
有料4施設への共通入場券は800円で、あまり安いものとは言えませんが、近くのビジネスホテルでは室料へ200円の上乗せでチケットのついてくる宿泊プランがあり、今回はこれを利用しました。
施設内には大きな蔵が3つあり、それに囲まれた中庭には、昭和に活躍したトラックや乗用車が展示されています。このあたりを歩くのは無料です。
■ 駄菓子屋夢の博物館
駄菓子屋のおもちゃを5万点が展示されてるそうです。所蔵が20万点以上で、日本一らしいけど、駄菓子屋って日本しかないから世界一かな。
入ってすぐのところにある大型のオブジェ。
館内には、丸いポストやボンカレーの看板や手動のカキ氷器など、なつかしいものであふれてます。
← 「駄菓子屋夢の博物館」への入口
駄菓子屋夢の博物館に展示してあったミニチュア。
交番・自転車・警察官は、今と比べても違和感がないですね。
レコードジャケットが壁一面に。
■ 北蔵
北蔵には無料・有料の施設がありました。 下の写真は小学校の教室を再現した「夢町小学校」。 無料です。
町並みや民家を再現した「民家ゾーン」は有料。
民家の壁に、妙な貼紙が。
入浴シーンが白黒なのが、昭和だろうか。
昭和の雰囲気を再現するテーマパークって、前回の旅行で立ち寄った愛媛県の大洲にもあって、古い車やブリキ看板が展示してあるのは同じ。この施設だけでは、特徴があるものに思えなかったけど、施設の外の保存している町並みと併せ、豊後高田で印象に残ったものの1つになりました。
ただ、私はホテルの宿泊プランで、入場券は200円の負担だったけど、まともに買うと800円って高いような気もします。
続きます。
豊後高田 - 昭和の町 (国東旅行3) [大分]
去年の秋に続き、豊後高田の「昭和の町」にやってきました。
前回は到着が遅く、町をゆっくり歩くことができなかったけど、今回は3時ころに着いたので、建物を残している町並みや、観光施設 「昭和ロマン蔵」にも入れました。
豊後高田で、特に印象に残っていた2つのお店が、「千嶋茶舗」と「松田はきもの店」さん。
見つけると、また来たんだなあって気持ちになりました。
前回の訪問は、たまたまお祭りの日。 千嶋茶舗さんに、たまたま立ち寄った私たちは、地元の人に配ってる抽選チラシをもらいました。
松田はきもの店さんんは、店頭の犬がかわいらしく、何枚も写真を撮ってました。 帰ってから知ったけど、商店街でもアイドル的存在のようです。
去年の記事と同じ建物もあるけど、昭和の町の建物をいくつか。
「カフェバーって昭和なのか、そういや最近は聞かないな」なんて思ったり。
「昭和座」のネーミングは無理やりっぽいですね。
松田はきもの店の「ゆき」ちゃん。 名前の入った前掛け。 お店では「ゆきちゃんグッズ」も売ってるようで、飼い主の溺愛ぶりがわかるようです。
近所の商店の人が通る時も、「ゴハンは5時からだよー」なんて、声をかけられてました。
ひな祭りが近いこともあって、商店街のいくつかのお店に、雛人形がディスプレイされてました。
- 電器屋さんの店頭 -
- 食堂の店頭 -
他のお店にも、蜷人形。
前回訪問時、通りを歩いてる人が少なくて、「昭和の町での町おこしは、うまくいってるのかな?」なんて部外者なりに思ったけど、今回は夕方に歩いてみて、案外たくさんの観光客がいることがわかって安心しました。
たぶん、豊後高田にはホテルが少ないから、旅行者は早めにどこかに移動しちゃうんですね。
続きます。
両子寺と富貴寺 (国東旅行2) [大分]
- 両子寺 -
2月の国東旅行の続きです。 大分空港から豊後高田に向かう途中、瑠璃光寺の後は両子寺と富貴寺に立ち寄りました。 どちらも、去年の秋に国東に来たとき、特に印象に残ったお寺です。
奥の院は山門から歩いて10分くらい。 建物の半分は崖に埋まってます。
六郷満山のお寺の境内には、あちこちに国東塔があります。
富貴寺は梅が咲いてました。
大堂は存在感があります。
内部の写真は撮れないけど、阿弥陀如来像や側壁画が見事です。
石仏
国東塔と大堂
去年の秋、両子寺と富貴寺に立ち寄ったのは、東京を車で出発し京都や広島、その他のいくつかの都市に立ち寄りながら西に移動していった7日目のことでした。 この時は、「途方もなく遠いところに来てしまった。」って思う気持ちと、不思議な磨崖仏などの存在から、国東半島と六郷満山に秘境のような印象を持ちました。
自分にとって両子寺と富貴寺は、遠い秘境の象徴的なものだったけど、今回は飛行機で移動したために、家を出発した日の昼過ぎに到着。それで、自分の中にあった、秘境の印象が薄れてしまったのは、残念なことでした、
国東旅行 - 1 [大分]
上の写真は、羽田から大分に向かう飛行機の中からの景色です。
1月末で失効するJALのマイルがあって、北海道に行こうかと思ってたんだけど、朝発、夕方戻りの旅行にちょうどいい便は、いろんな日程で見たけど空いてない。
他の場所も考えてるうち、去年の秋に行った国東のお寺で「修正鬼会」 (しゅじょうおにえ)という行事があることがわかり、マイルでの空席もあったので行くことにしました。
「修正鬼会」は、国東のお寺(六郷満山)の重要な行事のようで、去年の国東旅行の際にも、いくつかのお寺で資料が展示してありました。
晴れた日の飛行機からの眺望はすばらしい。 この日、飛行機は富士山の北側を通り名古屋上空を通過するルート。 席は右側だったので、富士山は見れなかったけど、南アルプスや北アルプスの山々がきれいに見えました。
今回の国東旅行は、楽しみにしてることがいくつかありました。
- 豊後高田の「昭和の町」をゆっくり歩く
- 居酒屋で刺身
(去年の秋、大分県では3泊して、寿司屋は入ったけど居酒屋には入ってない) - 時間がなくて行けなかった六郷満山のお寺
- 築市の町並み
- 修正鬼会 - これは当然
修正鬼会は天念寺で、夜6時位から始まります。
昼は昭和の町に行くことにして、空港からは、「瑠璃光寺」「両子寺」「富貴寺」に立ちより、豊後高田に向かうことにしました。
大分空港は国東半島にあるので、六郷満山や宇佐神宮の観光には便利です。 でも、大分市まではバス・タクシーで1時間。 仕事で来る人には不便ですね。
「両子寺」「富貴寺」は昨年も行ってるけど、「瑠璃光寺」は初めてです。
瑠璃光寺の住職さん不在でしたが、奥さんからお寺の事や、六郷満山での修正鬼会について話が聞くことができました。
今では2つのお寺でしか行われていない修正鬼会だけど、かつてはどこのお寺でもあったようで、瑠璃光寺にも当時の写真が保存されてました。
「修正鬼会は松明を使って火の粉が飛ぶので、ダウンジャケットとかじゃないほうがいいよ」ってアドバイスももらったけど、旅行中で替えが用意できないので、その夜はそのまま行きました。 でも、ここで聞いたアドバイスで、ちゃんと対策しとけば良かったって後悔することに。
続きます。
せとうち車旅 - 佐賀関から愛媛県に渡る [大分]
< 佐賀関 - 国道九四フェリー乗り場 >
やっと、この時がやってきた。 今回の旅行で、最も楽しみにしていたイベント、大分県の佐賀関から愛媛県の三崎港へフェリーで渡ります。 長い距離を無事に走り続けてくれたアスリートも、ここの移動はひとやすみ。
九州・四国に住んでる人にしてみると、九州四国間に便利なフェリーがあることは、周知のことかもしれないけど、関東に住んでいると、九州・四国間が案外近くて、フェリーが1時間おきに行き来していることを知ってる人はあまりいないように思います。
今回の旅行は、当初しまなみ海道を通って愛媛県内だけを考えていて、今治から松山、内子、大洲、八幡浜と行ったあと、引き返すつもりでした。 でも、地図を見てる時に豊後水道が狭いことや、フェリーが就航していることを知り、それなら渡ってみようかと。
帰りのことを考えて、コースは逆に、大分を先にしたけどね。
大分県 - 愛媛県のフェリーは、いくつかルートがあって、大分県側佐賀関から愛媛県側三崎港へのルートと、大分県側の別府・大分・臼杵のそれぞれの港から愛媛県側八幡浜へのルートがありました。
所用時間と運賃は、距離の短い佐賀関-三崎港が最安で、70分、8,500円(5m以内の車両)、他は3時間弱で12,000円~13.000円くらいでした。
観光客としては、関サバ、関アジで有名な佐賀関がどんなところか、見ておきたいし、佐田岬にも行っておきたい。しかも乗船が短時間で安い佐賀関-三崎港のフェリーで渡ることにしました。
乗船券を買って、出発まで待ってると、自分たちの乗る船が入ってきました。
定刻に出発。
さようなら九州。
この日、臼杵石仏に行った朝のうちは曇ってたけど、昼くらいから晴天に。海の景色は晴れないとね。
楽しみにしていた豊後水道のフェリー、この時は晴れてほしいと思ってたので、ホントに良かった。
愛媛県への上陸が近づいてきた。 写真は佐田岬半島と佐田岬灯台。
船内の様子。フェリーは車も乗客も少なく、くつろげました。
フェリーに乗る前、カーナビで佐賀関から自宅まで陸路で検索したら、何と 1,295km。 これが、三崎港についてからだと、955km。 (iphoneのナビタイムだと、それぞれ1,187km → 935km)
カーナビとiphoneの違いが大きすぎるのは謎だけど、どっちが正しいにしろ大分-東京間は四国へ渡るフェリーを使うと大幅短縮。このフェリーは便利ですね。
続きます。
せとうち車旅 - 臼杵市街 [大分]
- 臼杵市 二王座 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。旅行9日目(9月11日)。 臼杵石仏に行った後は、大分県最後での訪問地、臼杵市街地に行きました。 ここは、今回の旅行で自宅から最も遠い土地になりました。
臼杵は石仏ばかりが有名だけど、市街地はきれいな城下町でした。城と武家屋敷のある町から受ける印象は、規模は違うけど松江市と似ていたように思います。
臼杵城は、キリシタン大名大友宗麟が1563年に築城し、その後稲葉家15代の居城になったそうです。
臼杵市街 (二王座周辺)
臼杵市街は臼杵城や稲葉家の武家屋敷などが史跡になってるけど、時間がなくてそこには行かず、中心付近だけを歩きました。
石段と土壁のある建物が並ぶ「二王座」。 臼杵を代表する景観の1つです。
臼杵では、重要文化財の三重塔を持つ龍原寺が有名みたいですが、二王座には東西にたくさんのお寺がありました。 (この記事のアップ時に「五重塔」と誤記載してました。失礼しました。)
- 龍原寺 -
- 大橋寺 -
■ 臼杵の商店街
臼杵の商店街は石畳が整備されていて、歴史ある感じのお店の建物と合わせ懐かしい雰囲気でした。
教会のような建物は「サーラ・デ・うすき」というらしく、この中に観光案内所がありました。 この建物には、他に研修所などもあったので、公民館のようなものだと思います。
ランチは箱寿司
臼杵市街を歩いてると、昼になったので、ランチのお店を探しました。
観光案内所で配ってるパンフレットをもとに、最初に通ったのが「うさぎ茶屋」。ガイドブックにも出ている有名店のようです。
そばの具にトラフグの皮を使ってる「ふぐのかわそば」が名物。残念なことに定休日でした。
パンフレットには出てなくて、たまたま前を通った「矢車寿し」
提灯に 「臼杵名物 箱寿司」と書いてある。 箱寿司は、アナゴとアジがあるみたい。
観光案内所に戻って「臼杵名物 箱寿司ってどんなの?」と聞いても、そこの職員さん、お寿司屋さんがあることは知ってても「箱寿司」のことは知らない。お寿司屋さんとは、目と鼻の先なのに。
臼杵にあるお寿司屋さんで、箱寿司を出してる店が他にもあるから「臼杵名物」なんじゃないかな。観光案内所の人も知らない名物とは、「自称名物」だななんて、その時は思ったけどね。
でも、京都の八つ橋や京つけものはいろんな会社が作ってるけど、伊勢名物 赤福は1つの会社が作ってる。 「名物」は必ずしも地域で広く販売されてるものでなくてもいいのかもしれない。
「矢車寿し」も「箱寿司」も、ガイドブックや地元の観光パンフレットに出てないけど、そんな謙虚さ? が気に入って、ここで昼食にしました。
名物 「あなごの箱寿司」
注文したの、アジのつもりだったんだけどね。大将が間違えたんだけどね。こっちのほうがオススメみたいだし、おいしかったからいいかな。
好物のイカ刺も注文しました。新しいイカは文句なくうまいです。
今回、ここまでの旅行で、広島、下関、大分とイカ刺を食べたけど、どこもスミイカを置いてないんですよね。
とれるはずなんだけどね。
スルメがまずいってことじゃなく、意外だっただけのことなんだけど。
ニギリも数貫。
アジは関アジじゃないけど地物。 関アジは地元でも、高価なんだとか。でもまあ、普通に考えて、観光客が関アジ、関サバを目当てに次々と訪れるような店じゃなきゃ、そんなタネは入れられないよね。
観光客をメインにしているお店は、僕らハナシのネタに行くことはあっても、食事目的では行かないから、どっちみち今回の旅行で関アジには縁がなかったってことか。
関アジ、関サバは東京でも食べられる。 臼杵にあって地物中心のこのお店、おいしく満足でした。
これで、大分旅行は終了。 フェリーに乗るため、佐賀関に向かいます。
続きます。
せとうち車旅 - 臼杵石仏周辺の史跡 [大分]
- 深田の鳥居 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
上の写真は、臼杵石仏の近くにある「深田の鳥居」です。
太い柱が印象的でした。水田の中にあり、鳥居の下まで細い踏跡があったけど、稲を倒さず行けそうもない細さだったので、引き返しました。
旅行9日目(9月11日)。 今回は臼杵石仏の周囲にある史跡や博物館を紹介します。
満月寺
石仏公園をはさんで、石仏と反対側にあるのが満月寺。
ここは、臼杵石仏を造らせた人、実際に造った人の石像があります。大きさは等身大くらいだから、石仏ほど大きくはありません。
右) 真名長者夫妻像
石像を造らせた人といわれています。
左) 蓮城法師像
石像を彫った人と言われています。
満月寺
本堂は小さく閉ってました。
仁王像
仁王像
髪の毛のように草が生えてたので、後ろに回ると。
後頭部に草用の穴がありました。
こうゆうの、あまり見たことなかったけど、自分が知らなかっただけかな。
ヤマコ臼杵美術博物館
臼杵石仏の駐車場に面したところに、臼杵石仏の発掘資料等を展示している博物館があります。石仏との共通入場券もありますが、開設したのは「株式会社ヤマコ」という地元の海苔会社のようです。
「貝合わせ」という遊びに使う、絵の入った貝殻。
トランプだと神経衰弱ようなゲームだそうです。
展示品の写真はあまり撮らなかったけど、石仏発掘資料や稲葉家(臼杵藩主)にかかる資料の展示がありました。
次は臼杵市内へ。
続きます。