せとうち車旅 - 臼杵石仏 [大分]
< 大日如来像 - 古園石仏 >
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行9日目(9月11日)は、大分県の旅行の最終日。午後にフェリーで愛媛県に渡ります。
朝、大分市から約30kmの臼杵市に移動。この日はまず、臼杵石仏を見ました。
臼杵石仏に着いたのは、8時過ぎ。
そんなに早くから、拝観できるのかい? って思うとこだけど、ここは何と朝6時から営業してます。
臼杵石仏は、城内に4か所の石仏があり、全体で60余の磨崖仏があります。
・ホキ石仏第二群
・ホキ石仏第一群
・山王山石仏
・古園石仏
ホキとは、「がけ」を意味する地名らしく、「山王山」「古園」も含め磨崖仏が所在する地名を表してるそうです。 でも、歩けば1周10分くらいの狭い範囲で、こんな地名がたくさんあるのも不思議だけどね。
■ ホキ石仏第二群
< 第一龕 ( 阿弥陀三尊像 ) >
< 第二龕 ( 九品の阿弥陀 ) >
■ ホキ石仏第一群
< 第一龕 ( 伝釈迦如来坐像・伝薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像 ) >
< 第二龕 ( 薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・伝釈迦如来坐像 ) >
< 第三龕 ( 阿弥陀如来坐像・大日如来坐像・伝釈迦如来坐像 ) >
< 第四龕 ( 地蔵菩薩半跏像・十王立像 ) >
■ 山王山石仏
< 阿弥陀如来坐像・伝釈迦如来坐像・伝薬師如来坐像 >
■ 古園石仏
< 大日如来像 ほか >
< 大日如来像 ほか >
臼杵石仏のそれぞれの群は建物の中にあり、全体で博物館みたいです。
自然の中に存在してる国東の磨崖仏とは雰囲気が違ってました。。
古園石仏の近くから見た石仏公園。
季節じゃないけど、蓮の花畑もあって、のどかなところでした。
続きます。
せとうち車旅 - 別府 竹瓦温泉 [大分]
- 竹瓦温泉 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行8日目(9月10日)。院内、安心院、2か所の一の宮を回った後は大分駅近くのホテルに戻り、そこから電車で別府に向かいました。
別府には40年くらい前に、小学校の修学旅行で行ったことがあります。地獄めぐりの間欠泉や赤色の温泉が子供には意味不明で、当時つまらんと思った記憶だけは残り、また行くとことは思っていませんでした。
それなのに別府に行ったのは、前の日に行ったお寿司屋さんで聞いた別府の情報から。立ち寄り温泉も街も楽しそう。
安心院の帰りに別府に寄らず、車を大分市のホテルに置き電車で行くことにしたのは、そのお寿司屋さんが修業したような店がある → 「別府はいい飲み屋があるに違いない」と思ったから。
大分から別府までは、電車で10分くらい。
駅名標にも温泉マークが入ってる。
駅のトイレは、先頭ののれんがかかってたし、温泉町ですね。
めざしたのは竹瓦温泉。 いくつかある市営温泉の中で、寿司屋の大将がお奨めと言ってたところです。
途中、R18映画館や、ビリヤード場や、飲み屋街や、通ります。
iphoneのナビの通り歩いたけど、こんな道しかないんだろうか?
自分にとっての温泉街のイメージ(スマートボール、射的、ストリップ、みやげ物屋の店頭で温泉饅頭)はなかったな。
竹瓦温泉
こんなとこに町営の施設があるんだろか? と思ってしまうような、風俗店を抜けると、急に古く大きな建物が現れ、それが竹瓦温泉でした。現在の建物は昭和13年に建設され、正面の屋根は唐破風造。別府温泉のシンボル的な存在になっているそうです。
入湯料は、何と100円。安い !!
タオルは300円。こっちは高い。
でも、竹瓦温泉に入る直前、温泉の前にあるダイニングの大将から、温泉の向かいにある煙草屋に安いタオルがあるって情報をもらいました。 値段、忘れてしまったけど、温泉の半値以下。100円~150円だったと思います。
肝心の温泉は、本当に気持ちが良かった。普段、温泉を目当てに旅行先を決めることはないんだけど、そんな温泉を大して好きじゃない自分が、ここはまた来たいと思う気持ちよさでした。、
別府の夕食
別府での夕食、街を歩いて気に入った店に入ろうと思ってました。 でもiphoneのナビを頼りに歩いた竹瓦温泉への往路は、スナックとか風俗しかなかったから決められなかったんだよね。
温泉に入る前、安いタオルのある煙草屋を教えてくれた大将のダイニングは、「風呂上りセット」だったか「湯上りセット」だか、ビールとツマミ1品で500円ってメニューが店頭に貼ってありました。
ビールにツマミ付きで500円、しかも風呂上りにすぐ飲める。 旅先で親切にタオル情報をくれた大将も気になり、竹瓦温泉を出たあとは、ビールを飲みながら、別府のゴハンどこにするか考えようとここに入ってみました
竹瓦温泉の前という絶好の場所で、いい商売方法を考えるもんだ。
風呂上がりの一杯で、一息ついて、それから何所か魚のある居酒屋か寿司屋に行こうと思ってたけど、結局ここで食事することに。500円セットがビールだけなら、そうはならなかったけど、一品ついてる串がいけない。空腹感を増大させる誘い水になる。
まんまと、お店の策にはまった気がしないでもないけど、おいしかったので結果オーライです。 料理は中華がベースでした。
続きます。
せとうち車旅 - 豊後一の宮 [大分]
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行8日目(9月10日)、院内と安心院に行った後は、大分市まで戻り、2つの一の宮に行きました。同じ市内に一の宮が2つある理由は、わからないけど、武蔵一の宮も、さいたま市に2か所あるからね。 (武蔵一の宮は、さらに東京に2か所) 場所によって、事情は様々みたいです。
柞原八幡宮 (ゆすはら はちまんぐう)
この先に一の宮クラスの神社があるんだろうか? と不安になるくらい、困難を極める狭くて曲がりくねった道の先に、柞原八幡宮はありました。帰りも通ることを考えたら憂鬱なくらい。
でもまあ、これはいつもの迷惑なカーナビが、細い道を案内しただけで、西大分駅方面への表参道で帰ると、そんなひどくはありませんでした。
柞原八幡宮は、豊後国一宮。旧国幣小社です。
境内は深い森の中にあるようで薄暗く静か。神秘的な雰囲気に満ちてました。
- 西門 -
- 廻廊 -
- 本殿 -
- 楼門 -
- 楼門 -
西寒多神社 (ささむた じんじゃ)
西寒多神社も豊後国一宮。旧国幣中社です。
西寒多神社は近所に住宅もある大分ち市街から近いところにありました。 明るい神社です。
一の宮というと、今回の旅行では、広島の厳島神社と大分(豊前)の宇佐神宮立ち寄ってきていて、参拝者が多くて門前も賑やかな神社って印象があります。でも、この地(豊後)の一の宮は両方とも静かなもの。片方は、、なら少しはわかるんだけどね。参拝者は少なく、お店も屋台もありませんでした。 私は静かなところが好きだから、いいんだけどね。
このあと、ホテルに戻ります。
せとうち車旅 - 安心院の鏝絵 [大分]
- 安心院の鏝絵 -
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旅行8日目(9月10日)、院内の石橋を見たあとは、安心院(あじむ)で鏝絵(こてえ)を見てきました。
鏝絵というのは、左官職人が建物の壁などに作る漆喰の絵のことだそうです。安心院の中心部にある鏝絵は、建物の壁に直接描かれたものや、レリーフのように取り付けられたものがありました。
「鏝絵」という単語自体、私は宇佐の観光案内所で初めて知りました。
重松家別邸 - 虎
上の写真で大きく書かれた富士山も鏝絵。2Fには、この側面にも龍の鏝絵がありました。
安心院の鏝絵は、虎の絵が多かったと思います。
縣屋酒造 (あがたや)
- 毘沙門天・弁財天・布袋
古い造り酒屋さんのようで、入口の引き戸には、「電話二二番」。電話が2桁って、いつのころだろう。
平成16年の新しい鏝絵のようです。
佐藤家 - 夷大黒・鯉の三番叟
この鏝絵で注目すべきは、三番叟なのに鯉が出ていること。 普通は鯉ではなく猿に大黒様が烏帽子をかぶらせ躍らせるものだそうです。
それで、「三番叟」とは?
能楽の一種に「式三番」というのがあって、その3つ目の演目が「三番叟」または「三番猿楽」と呼ばれているそうです。
他にもたくさんの鏝絵。安心院観光協会のホームページでは、50の鏝絵が紹介されています。
左の2段目など、機械を操作してます。酒屋さんもそうだったけど、稼業に関係している絵もたくさんありました。
院内と石橋と安心院の鏝絵。 旅行に出たころには、地名も知らないところだったけど、たまたま行ってみて思いがけず印象残るところでした。
続きます。
せとうち車旅 - 院内 石橋の町 [大分]
- 鳥居橋 -
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旅行8日目(9月10日)、前の日に陸前高田から大分市へ移動だったけど、この日は一旦宇佐市に逆戻り。院内の石橋と安心院の鏝絵を見てきました。
院内の石橋巡り
院内の石橋の事を知ったのは、宇佐神宮に行った2日前。観光案内所でパンフレットをもらった時でした。この地区には、江戸時代から明治初期にかけて造られた石橋が、75基もあるそうです。
■ 鳥居橋
宇佐別府道路を院内ICで降りると、すぐ近くにある鳥居橋。
ここに来るまで、「石橋を見て回るのって、楽しいのかな」なんて思ってたけど、いきなり5連アーチの立派な橋を見て、「すばらしい !! 」。他のとこもできるだけ行きたいと思うように。
■ 一の橋
一の橋は、1連の小さな橋でした。
宇佐市観光協会のホームページで紹介されている、石橋は3連以上で橋高のある見栄えがするものが多いけど、院内の石橋の大半は単アーチ橋のようでした。 じゃあ、単アーチは見ても面白くないかと言うと、決してそんなことはなくて、周囲の景色に自然に溶け込み、のどかな院内の景観を作っています。
■ 界橋
界橋も単連アーチ橋。現在も使われている橋で、案内板がなければ気が付かないほど、普通に道に架かってる橋でした。
■ 打上橋
文久3年(1863年)の架設で、院内では最古の石橋です。
白いガードレールがあるのが打上橋です。
雑草が茂ってて、わかりにくいけど、打上橋の下にも水路橋があり、2重になってます。水道橋は渡れません。
■ 久地橋(きゅうちばし)
アーチではなく桁橋です。山道のような未舗装の荒れた道の奥に現れます。
森の中の素朴な石橋。しびれます。
細い橋には手すりがなく、石の上には苔が生えています。
渡る時は滑らないよう緊張しました。
■ 富士見橋
富士見橋は3連アーチです。
豊後富士と言われる由布岳が見えることから、橋の名前になったそうです。
■ 経座橋
龍岩寺の駐車場近くにある、単連アーチの経座橋。
院内の石橋巡りはここまで。1つ1つの橋は特徴があり、院内ののどかな風景の一部として印象に残るものでした。
観光パンフレットには、75基の橋が出ているけど、とてもすべては回れません。少しでもたくさんの石橋に行こうとしたけど、案内板が目立たず素通りしてしまったり、車だと入れない場所や近くに駐車できないところも多くありました。観光パンフレットにも出ていて、町内では一番長い「御沓橋」では、駐車場できそうな場所はないし、近くの道はどこも細くて路駐もできませんでした。
龍岩寺
白木の三尊像が有名で、ガイドブックや観光パンフには必ず載ってる龍岩寺に行きました。三尊像は行基が一夜で彫ったと言われています。
本堂への石段。
石段を上がると本堂に出ます。
長椅子には、靴下が何足か干してあったり、ペットボトルでいっぱいになったゴミ袋が、何袋か縁側の下に保管されてたり、お寺としては珍しく、ちらかってる感じでした。
本堂で拝観料を払い山道を登ると、三尊像のある奥の院礼堂に出ます。
奥の院礼堂、三尊像とも重文です。
拝観する場所と三尊像は木の格子で挟まれているんですが、格子が太く間隔が狭いので、全体がよく見えません。
写真はOKのようでしたが、デジイチだとレンズが、格子の中に入りません。頭上に掲げて、モニターを見ながら撮ったのが左の写真。顔が隠れてしまいました。
コンデジは、何とか格子の中にレンズの先が入り、1体ずつなら撮れました。
写真は順番に、不動明王座像、阿弥陀如来座像、薬師如来座像です。
でも、現地に行ってるのに、全体がちゃんと見れるのは、コンデジでの写真だけというのが何とも。
目の前に現物があるんだから、格子のじゃまなく見たいですね。
朝はカレー、昼はカラアゲ
この日の朝と昼の食事は、地元のファーストフードでした。
大分市から院内に向かう途中、別府港ICで食べた朝食は「タイムヒルズカレー」
朝からカレーなんてと、自分でも思うけど、別府湾を見下ろすテーブルで食事をしてみたかったのと、「タイムヒルズカレー」なんてネーミングに惹かれてね。
昼食は、道の駅 いんないにあったカラアゲ屋さん。
中津市、宇佐市とカラアゲ店が多く、カラアゲガイドマップまである力の入れようなので、どこかで食べようと思ってました。
このあと、安心院(あじむ)に向かいます。
せとうち車旅 - 大分の夕食 [大分]
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行7日目(9月9日)、昼は国東半島の史跡を回り、大分市内の宿泊でした。
ホテルに着いたのは夜になってから。 チェックインしてすぐ、夕食に出かけたけど、飲み屋街がどこにあるのかわからなかったのと、日曜日でお店があまり開いてなかったので、駅から続く商店街を歩き、居酒屋か寿司屋で、営業してるお店を探しました。
入ったのはお寿司屋さん。
最初は刺身から。
・アコウ
・フグ
・イカ
地物中心に注文したけど、お店のお客さんは地元の人が中心だから、マグロや根室のサンマなどもありました。
・ハモ
普段の自分の行動範囲ではあまり食べないハモだけど、下関の唐戸市場でもたくさん売ってたし、西日本でポピュラーな魚なんですね。
刺身のあとは、お寿司。私には好みの寿司でした。
タネの種類が少なかったけど、日曜の夜なんだから、しかたないかな。
宇佐の麦焼酎「兼八」
赤兎馬も置いてあったけど、何か地元のをとリクエストしたら出てきた麦焼酎です。
お土産にと思い売ってる酒屋さんを聞いたけど、翌日行ってみたら、時間が遅くて閉店してました。
修業はどこでと聞いたら、別府のお店なんだそうです。
こんなちゃんとした寿司屋が、別府にもあるってことか。別府は温泉や地獄めぐりの観光地だけど、鮮度のいい刺身がシャリの上にのってるだけとか、タネのボリュームがスゴイとか、観光地にありがちな店ばかりじゃないってことだ。
ここで、今回の旅行では行くつもりのなかった別府が面白いとこなんじゃないかと興味を持ち始め、大将から日帰温泉や餃子屋さん、酒屋さんの情報を聞いてるうち、翌日の予定に加わりました。
この日、国東半島はすごく楽しく充実してた。夜のお寿司屋さんも、いいお店だった。
またも完璧な1日となりました。
続きます。
せとうち車旅 - 国東六郷満山 (2) [大分]
- 両子寺 仁王門 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行7日目(9月9日)。 午前中は国東半島の西側(つけ根)付近の磨崖仏を中心に行ったので、午後は半島中心付近のお寺に行きました。
まず目指したのは、両子寺(ふたこじ)。
上の写真は、両子寺の仁王門で、富貴寺の大堂と並び、国東半島の寺社の観光写真によくつかわれているアングルです。
両子寺 (ふたこじ)
両子山の山腹にある両子寺は、六郷満山の中でも特に山奥にありました。広く静かな山寺です。
鬼橋を通ったところにある石段
奥の院に通じる石段
奥の院
本尊は十一面千手観音。建物の半分は、崖の中です。
国東塔
国東半島の寺社には、「国東塔」と呼ばれる宝塔があります。
広い境内には、石仏や国東塔があちこちにありました。
長安寺
長安寺へは、藤原時代の作といわれる、重文の太郎天像、二童子立像を見に来ました。
長安寺の本堂
太郎天像、二童子立像は、この収蔵庫の中。
ここも撮影禁止でした。
天念寺
天念寺は長安寺から4kmくらい。
阿弥陀如来立像(重文)は、駐車場を挟んだ資料館にありました。
無人でしたが、壁のスイッチを押すと、縁起などのビデオが流れます。
長岩屋川にある岩に彫られている川中不動。
無動寺 (身濯神社)
天念寺から5kmくらい。ナビはなぜか、豊後高田市街を経由した25kmくらいのコースを案内してました。
なぜだろう。
お寺の写真が残ってない。
石段を上がると、身濯神社(みそぎじんじゃ)
椿堂
ここは猫だらけ。
途中の道が細くてギリギリ。
ホイールこすってしまったよ。
文殊仙寺
六郷満山の最後は文殊仙寺でした。
お寺の名の通り、文殊菩薩を本尊にするお寺です。
奥の院近くにある十六羅漢像。
奥の院(本堂)
山寺らしい、落ち着いた雰囲気でした。
国東半島のお寺や磨崖仏の多くは、国東半島中央にある両子山を中心として放射状にあって、うまくコースを決めないと何度も同じ場所を行ったり来たりすることになります。
ただ、事前に合理的なルートを計画するのも難しいものがあって、放射状の道に点在するポイントをどうやって、最短で一筆書きのように通るか、地図を見れば見るほどうまくまとまらず、また、実際に行ってみると、地図では険しくて通れそうもないような道が、広く近道になってたり、予定通りにはとても事が進みません。
まあ、どのコースが合理的か? なんてことは考えず、時間をかけゆっくり巡るのが、国東はいいと思うけどね。
今回の旅行の六郷満山は文殊仙寺で終了。1日で随分、いろんなところに行きました。
このあとは、大分市に向かいました。途中、大分空港の近くを通ったけど、大分市からは不便なところにあるんですね。
続きます。
せとうち車旅 - 国東六郷満山 (1) [大分]
- 熊野磨崖仏 不動明王像 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行7日目(9月9日)。 この日は、豊後高田市から国東半島の史跡を回り大分市まで移動しました。
国東半島は「六郷満山」と呼ばれる仏教を中心とした史跡がたくさんあるところ。富貴寺や両子寺をはじめ、寺社や磨崖仏がたくさんあります。ガイドブックに載ってる小さなところも、1つ1つ立ち寄ると、1週間くらいかかりそうです。
ところで、旅行に出発する前のこと、国東半島の史跡の巡り方を決めようとガイドブックを読んでいると、ある誤解がありました。
私の以前の知識(駅の観光ポスターとか雑誌を眺める程度で刷り込まれたもの)
・ 国東半島 - 石仏がある
・ 臼杵石仏 - 当然に石仏がある
↑ これを短絡的に結び付け、国東半島に臼杵石仏があると思ってたんですね。
国東半島の地図には「臼杵」って地名が見当たらない。でも「臼杵」は集落の名前かもしれないし、「杵築市」って似た感じの市があるから、国東半島のどこかにあるんじゃないかって思ってた。
そのあとで佐賀関あたりの地図を見てる時、たまたま「臼杵市」の文字が目に入り、「あれ、なんでこんなところに? しかも市なのか」 って。
そして次なる誤解が発生。頭の中にあった国東の石仏が、全て臼杵市に移ってしまった。
「じゃあ、国東には何があるんだ?」「何もないなら、豊後高田に泊まった翌日は、国東半島は素通りして、別府の地獄めぐりとか行った方がいいかな」
でも、ガイドブックをよく読むと、国東にも石仏がある。
有名な臼杵石仏とは別に、国東にも石仏があるってことか?
こんなことを、ちょっとでも思ったことを反省しなくてはならないくらい、国東は史跡にあふれたすばらしいところでした。
今回は午前中に行ったところの中から紹介します。
富貴寺
六郷満山、最初に行ったのは富貴寺。
前の日に県立歴史博物館でレプリカを見た大堂。(国宝)
さっそく、本物に対面しました。
堂中は撮影できませんでした。
阿弥陀如来像や壁画がありました。
博物館のレプリカは、建物も本尊や壁画も、色彩が復元されててカラフルでした。
ホンモノは色が落ちてるけど、ここで見る方がすばらしい。
元宮磨崖仏
富貴寺から熊野磨崖仏への途中にあった元宮磨崖仏。道路に面しているところにありました。
観光用パンフレットの地図を見ると、国東にはたくさんの磨崖仏があるようです。
ここを含め、ほとんどの磨崖仏は入場無料でした。
(ただし、ほとんどの人が行く有名な磨崖仏や史跡は、入場料が必要でした。)
穴井戸観音
富貴寺から熊野磨崖仏への途中の道から、少しそれたところにある穴井戸観音。
あまり人が来ないのか、この階段は踏む面も苔で覆われ滑るし、蜘蛛の巣だらけでひっかかって大変でした。
でも、ここまで山深いお寺の雰囲気は、このあたりでも他にないものがあり、また奥の洞窟も深く印象に残ったので、行って良かったと思っています。
縁起の後に、「どうぞ怖がらずに奥にお進みください。何かがあなたをお待ちしております。」と書かれた張り紙。
そして、待っていたは、たくさんのコウモリ。最初は暗くて気が付かなかったけど、奥まで進んだ時、一斉に狭い洞窟の中を飛び回り始めました。
絶叫して洞窟の外に逃げたよ。ネズミの群れみたいなもんだからね。襲われるんじゃないかって怖かった。
真木大堂
富貴寺から熊野磨崖仏への途中にある真木大堂。
国宝になっている平安時代の仏像が9体もあります。
旧本堂
国宝の仏像は、この新しい建物の中にありました。中は当然のように撮影禁止。
熊野磨崖仏
熊野磨崖仏は、駐車場からこの石段を登ったところにあります。
ゴロゴロの石段は、階段を整備してないんじゃなく、これにも伝説があるようで、九十九段の石段を、鬼が一晩で作ったとか。
「しかし、これを九十九段というのは無理がありますね~」 「見ての通り、高さや形の違う石で積んでありますからね」 なんてことを、地元の観光バスガイドさんが説明してました。
まあ、確かにその通り。
これで段数を数えても、数える都度違うはず。
鍋山磨崖仏 / 三の宮の景 / 三の宮八幡社
熊野磨崖仏のあとは、両子寺に向かいました。途中、磨崖仏や神社の案内を見かけると、なるべく立ち寄るようにしました。
鍋山磨崖仏は、元宮磨崖仏と同様、無料で立ち寄れる磨崖仏です。
鍋山磨崖仏から、少し進んだところにある「三の宮の景」
渓谷にある岩が重なり合って、独特の景観になっています。
三の宮八幡社
続きます。
せとうち車旅 - 豊後高田 [大分]
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事の再開です。
旅行6日目、宇佐神宮と県立歴史博物館に行った日の宿泊地は豊後高田市でした。宇佐市も含めこの周辺には、ホテルが少ないですね。
■ 昭和の町
豊後高田のホテル近くに「昭和の町」があります。
「昭和の町があります」なんて漠然とした書き方だけど、私もそこに行くまで、「昭和の町」が、「地域として昭和の街並みを保存している」のか「テーマパークのような商業施設」なのか、どんなところかよく知りませんでした。
持っていたガイドブックは、「昭和の町」について入場料が必要な観光施設(昭和ロマン蔵)のことを中心に書いてあったので、横浜ラーメン博物館のような施設の中だけある時代を再現しているようなところだろうと考えていました。
でも、実際にはそうではなく、この地区での町おこしとして、昭和の時代の街の様子を維持する試みのようで、「昭和ロマン蔵」はその中にある観光施設の1つでした。
でも、「昭和の町」って、何だろう?
自分にとって、昭和はそんなに昔じゃない。
江戸時代とか明治の街並み再現といえば、イメージつきやすいけど、昭和の町並みとは?
ここは、昭和を再現したわけじゃなく、昭和のままの町。だから、押し付けがましいとこや、わざとらしい感じがないんですね。 時間から取り残された町を、歩いてるうち、ああこれが昭和だなあって、後から自然に感じてくる。
時間がなくて昭和ロマン蔵には行けなかったけど、それでも良かったような気がしてる。
町を歩くだけで十分に昭和を感じたからね。 テーマパークで、わざわざ造ったピカピカの昭和の町を見たら、そうは感じなかったかもしれない。
お店番をしているワンちゃんがいました。玄関の張り紙には、こんなことが書かれています。
背中を向けたら、嫌ったわけではなく、なでてほしいのです。
お店番をしっかりしながら、ダイエットにも頑張ります。
背中をなでてほしい時は、起き上がって背中を見せるみたい。私が行った時は、疲れてたのか、座り込んだままでした。
親切にしてもらったお茶屋さん。
この日はたまたまお祭りでした。
左のポスターを見ていたら、おいなりさんの場所を教えてくれたばかりか、地元の人に配ってたお祭り参加のチケットをもらいました。
かつて、豊後高田の商店街は国東半島一の賑やかだったそうです。
「昭和の町」は、建物と街並みを保存する町おこしの企画だけど、私たち観光客には風景を提供するだけでなく、何か別のものを訴えてるような気がしました。
■ いなり祭
夕食後、いなり祭に行きました。 豊後高田のお祭りかと期待したけど、町会が出してるお店が4軒程度の小さなものでした。
ゲームは金魚すくい、射的、輪投げがありました。町の人がやってるお店なので、プロの夜店と違って景品はどんどん渡してました。
■ 夕食は串揚げ
ホテルのから、昭和の街を歩くと、何軒かの炉端、寿司、焼肉屋さんがありました。ガイドブックやネットで事前に見た時、この町は飲食店があまりないようだったので心配してたんだけど、思ったより選択肢はあったかな。
大分県に入って最初の宿泊。周防灘や豊後水道の魚を期待したいとこだけど、広島、下関と魚が続いたのと、途中で通った中津や宇佐でカラアゲを中心に鶏肉料理をPRしているようだったので、それならと、鳥のある串揚げ屋さんに。
串揚げは大阪風
おいしかったです。
次に豊後高田に行くことがあったら、もう少し時間をかけ町を歩き、「昭和ロマン蔵」にも行こうと思います。 こんなにいい町を作ってるんだから、その中心的な企画にも行って、町おこしに微力ながら協力しないとね。
どの地方都市に行っても、商店街が衰退してる。でも、こんなふうに努力してる町もある。何としても再活性化してほしいですね。
続きます。
せとうち車旅 - 宇佐神宮 [大分]
- 宇佐神宮 上宮 -
瀬戸内海の半分くらいを、車で1周旅行した記事を更新中。
旅行6日目(9月8日)。この日の移動は下関から豊後高田。北九州空港あたりまで高速を使い、あとは一般道で約50kmです。
この日の目的は、豊前一の宮で八幡さまの総本宮の宇佐神宮でしたが、その後に行った県立歴史博物館もすばらしく、国東半島や臼杵を旅行するのに予計画を立てたり予習するにはうってつけ。それぞれの土地での印象を深くしてくれるものでした。
豊前市の道の駅で休憩。このあと中津市に近づくと、鳥カラアゲのお店がたくさんありました。
初めての街を走ると、ちょっとした風景の変化から、遠いところに来たって印象を受けます。
宇佐神宮
スピリチュアル・ブームだからってわけじゃないけど、数年前から神社に行った時にはご朱印をもらうようになりました。 日本のたくさん神社の中で、なるべく早く行っておきたいと思ってるところが3つあり、それは伊勢神宮(三重県)、伊弉諾神宮(淡路島)、そして宇佐神宮です。
その中で宇佐神宮は東京からの交通の便が悪く、簡単には行けないところだと思ってました。それが、なんとなく決めた今回の旅行ルート上に宇佐神宮があることに気が付き、伊勢神宮や伊弉諾神宮よりも先に宇佐神宮に行けることになりました。
- 菱形池 -
- 亀山神社 -
- 宇佐鳥居と西大門 -
- 西大門から上宮 -
- 下宮 -
- 八坂神社 -
- 呉橋 -
- 呉橋 -
上宮、下宮には、それぞれ左から一之御殿、二之御殿、三之御殿となっていて、順番に参拝します。参拝の作法は他の神社と少し違ってて、二礼四拍手一拝でした。
「恋水着」ではなく「恋みくじ」
「恋ゆかた」と「恋水着」は、AKBを使ったイトーヨーカドーのCMでした。
こんな神聖な場所で、そんなこと思い出すなんて。トホホ
境内にあったポスト。
呉橋が載ってる。
県立歴史博物館
県立歴史博物館の主な展示物は、国東半島を中心に大分県内の歴史に関する資料や模造の仏像が中心でした。
翌日は国東半島の史跡を回る予定だったけど、どこに行くかほとんど準備してなかったので、ここで得られた情報は貴重で役立つものになりました。
■ 熊野磨崖仏 (コピー)
入口を入った正面にある「熊野磨崖仏」
展示室には、磨崖仏について大分県内の分布図があり、臼杵だけじゃなく国東半島のいろいろなところにあることがわかりました。
■ 安心院の鏝絵 (あじむのこてえ)
安心院の鏝絵が、入口から展示室の途中に何点か飾ってあります。ここで見たことが、安心院に行くきっかけになりました。
展示室は残念なことに撮影禁止。
富貴寺の大堂や臼杵石仏など、見事に復元されていて、その場を離れられずしばらく見ていました。
続きます。