懐古 - 神保町 [東京周辺]
お茶の水~九段で、懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回は神保町です。
最初はいろいろな本屋さんから。
書泉グランデ
高校~大学時代にもっともよく通った本屋さん。
高校生の頃、書泉グランデのこげ茶色のブックカバーのついてる本を持ってる学生さんが、なんだか大人に見えたのが使い始めたきっかけだったような。
本屋さんはそのまま残ってるけど、最近、あのブックカバーを使ってる人は、すっかり見なくなってしまいました。
三省堂書店
書店としては古くからあったようだけど、私が書店として認識したのは、この建物ができた時。 いつだろう。
ブックカバーだけのことで書泉グランドびいきだった私は、探してる本が書泉にないときだけ三省堂にきてました。
「辞書は三省堂」ってテレビコマーシャルも、最近は見てないですね。
芳賀書店
水道橋の記事で少しふれたけど、「エロ本」を超える当時の新たなジャンル「ビニ本」販売の有名店として、一世風靡した本屋さん。
このジャンルで数十年。
すばらしい !!
神田古書センター
「古本屋さんが何軒か集まりビルになった」って、当時は話題になりました。 でも、いつできたか、あんまり覚えてない。 高校生~大学生のどこかだな。きっと。
当時、古書を探す趣味はなかったけど、このビルのことはなんとなく覚えていて、「なんでだろーなあ」なんて思いながら、テナントの看板を見ると。
あ! そうだ !!
カレー屋があったんだ。
いもや (天丼・天ぷら定食)
たまに来てました。
昼はいつも大混雑。
今回、お店に入ったけど、ここで写真撮るのは勇気がいりますね。
写真は天丼屋の「いもや」。 定食のお店は近くの別のところにあります。
さぼうる
店の入口にトーテムポールがあり、店内もジャングルのようだった 「さぼうる」。
(たぶん) 建て替えもなく、当時のまま存在してました。
さぼうる2
「さぼうる2」は、あるときいつのまにか出来たんだけど、それもすごく昔。 今も残ってました。
珈琲館 専大前本店
スタバやドトールがなかった30年前、コーヒー店チェーンというと「珈琲館」でした。
ここは「専大前本店」。会社も(UCCの子会社になって)存続し、お店の統廃合もなく残ってました。
この記事書いてて「キッチン南海」とか「キッチン ジロー」なんてのもあったなー、って思いだしてきました。
今度、行ってみようと思います。
懐古 - お茶の水 [東京周辺]
就職してからあまり行くことがなくなった駿河台周辺。 だけど、お茶の水にある英語学校に通い始めたことで、かつて行ってたお店の事とかを思い出してきました。 懐かしい場所を探して歩いた記録の続き、今回はお茶の水です。
就職してからほとんど行かなくなった水道橋や九段あたりと違って、お茶の水は自宅からの最寄駅の通る千代田線と同じ路線で、JR中央線との乗換で使うことから、就職してからもわりと立ち寄ってました。
東京復活大聖堂 通称:ニコライ堂
「東京復活大聖堂の入口で待ちあわせ」なんて言っても、たいていの人は、どこだかわかりません。 ニコライ堂です。
今回の記事で、唯一30年以上前から残ってる建物でした。
カザルスホール
(お茶ノ水スクエア)
ここには、主婦の友社って古いビルがあったけど、1987年に建て替えし今のビルになりました。
出来たばかりのころ、国内初の室内楽専用「カザルスホール」がなんだかおしゃれな感じがして、ここのコンサートに行きたいって理由だけで、何の演奏かよくわからないままチケットを買ったことがあります。
今は日本大学の所有になってるそうです。
明治大学リバティタワー
母校じゃないけど、建て替え前の明治大学生協には、ちょくちょく行ってました。当時(今でも)本は再販商品だけど、ここの生協で買うと10%だか20%だか率は忘れたけど割引があったので。
一般的に生協は、出資した組合員じゃないと購入できないとこが多いけど、それはどうクリアしてたのかな。 記憶にない。でも、明大生協には就職してからも、スーツで行ってたりしたから、組合員のチェックはなかったか、甘かったのかもしれません。
日立製作所に勤務してる友人と飲む時は、お茶の水が多かったな。。。と思って、日立のビルを探したけどなかった。 たぶん、このあたり。
帰ってからネットで調べたら、お茶の水に日立製作所の本社はもうないんですね。 当時の社屋も取り壊し済だそうです。
JAZZ LIVEHOUSE NARU
お茶の水駅に近いJAZZのライブハウス。 でも、私の記憶する「NARU」は、代ゼミに通ってた現役のころ、駅近くでランチを食べるお店でした。その代々木のNARUが、あるとき、お茶ノ水に移転し代々木の店を閉め、私は気に入ってたランチのお店がなくなり、寂しい思いをした記憶があります。
お茶の水に移転してからは、前を通っても入ったことがないんだけど、ここのホームページを見ると、NARUは「ジャズ ライブハウス」なんですね。 それと、いつのまにか代々木にも復帰して同じくジャズライブハウスになってる。
でも、当時の印象で、JAZZとかライブハウスと結びつくものは全くないんだよね。昼食はシェーキーズにしようか、NARUにしようか、とかそんな感じだった。 お酒飲んでライブを聞くような年齢じゃなかったかもしれないけど。
山の上ホテル
駿河台一丁目の交差点から見ると、低い建物だったような。
増築なのか改築なのかわからないけど、ホテルの様子が変わってしまった。
カザルスホールのあるお茶ノ水スクエアは、所有が主婦の友社から日本大学に移り、図書館として使われていました。 前回の記事にした研数学館の建物も、日本大学が使用しています。 明治大学生協のあった場所は、高層ビルのキャンパスになってます。
私の印象だと、大学キャンパスは都心を離れ、八王子、川崎、所沢といった郊外へ移転を進めてると思ってたけど、このあたりの大学校舎は移転して減るどころか、増えてるのが意外でした。
続きます。
懐古 - 水道橋 [東京周辺]
お茶ノ水~九段下あたりは、予備校時代の昼間の居場所でした。 大学のころもたまに行くことがあったけど、社会人になって以降は、さっぱり用事がなくなり約30年。
ところが今年になって、お茶ノ水駅近くの英語学校に通い始めたことで、当時のいろいろな記憶がよみがえってきました。
数日前、講義の前に、周辺を歩いてきた記事を、エリアごとに書いてみます。
同じ世代の人で、このあたりでブラブラしてた人には、懐かしいと思うお店があるかもしれません。 ただ、まだ未成年だったころの話なので、お酒の出るお店は入ってません。
エリアを4つ(御茶ノ水・神保町・水道橋・九段)に分けて記事にしますが、この4つは明確に分けられるものでもなく、かなり主観によるものです。 今回は水道橋から。
お茶ノ水~九段にかけて、最も多く足を運んだのは、予備校で1年間通った研数学館でした。 水道橋駅から神保町交差点方面に歩くと、すぐ右側にあります。
当時から古いと思ってた建物は今も健在。 だけど、予備校業は10年以上前にやめてしまったようです。
TONYレコード
「あ !! まだあったんだ」
と思った中古レコード店
予備校生にとって、中古とはいえレコードは安いものではなく、のぞくことはあっても買った記憶のないお店。 雰囲気は当時のままだけど、店内では当時なかったCDを売ってました。
レコード社
ここもたまに寄ってました。 何を探してたのか、記憶にないけど。
中古レコード店は、このあたりより、高田馬場にあったお店に行ってたんだよね。
(たぶん)このお店のあたりに「芳賀書店」があったはず。
どんな本屋かあえて書かないけど、当時は男性だれもが知ってるような有名店でした。
行ったことあるような、ないような。 すでに記憶にないな。
神保町に本店があり、そこは今も営業してました。
研数学館の近くにある喫茶店によく行ってました。
記憶に残ってる場所と古さから、たぶんここ「神田白十字」なんだけど、店名の記憶がはっきりしないので、ひょっとしたら違うかもしれません。
水道橋あたり、揚げたて天ぷらのある立ち食い蕎麦屋がいくつかあり、ほぼ毎日通ってるお店がこのあたり(専修大学付近)にありました。
店のおやじが、その日の出汁の出来が気になると、食べてどうかって聞かれるくらいの馴染みだったけど、このあたりに来なくなってから、すごく久々に通った時、店ごとなくなりビルになってました。
カトリック神田教会
この存在を認識したのは、つい最近。英語の学校に行き始めてから。
研数学館から近いんだけど、当時はキリスト教や教会建築に興味がなかったから、記憶に残ってなかったのかもしれません。
お茶の水から水道橋の間には、石段の坂道が2つあります。
お茶ノ水から水道橋に行く時、その逆もそうだけど、この坂の入口はよくわからないところにあって、水道橋から何となくお茶ノ水の方向に向かい、細い路地に入ると、どっちかの坂の下に出ます。 どっちに出るかは、いつもその時次第。
↑ 男坂の上 (お茶ノ水側から)
← 男坂の下 (水道橋側から)
階段がまっすぐなのが男坂
↑ 女坂の上 (お茶ノ水側から)
← 女坂の下 (水道橋側から)
階段の途中が曲がってるのが女坂
研数学館のビルや中古レコード店が、今も当時のまま残ってるのは意外でした。 忘れてたはずの記憶が甦り、懐かしかったです。
続きます。
亀戸天神社 - うそ替神事 [東京周辺]
亀戸天神社で1月にあった「うそ替神事」に行ってきました。
「うそ替神事」というと、九州の大宰府天満宮が有名ですが、亀戸天神社は菅原道真をお祀りしており、太宰府天満宮を本社としていることから、同じ神事が行われているようです。
かわいらしい木彫りになっている鳥が「うそ」で、新年に交換すると、前年の悪しき事が“うそ”になり一年の吉兆を招くことができると信仰されていたそうです。
参拝者同士でうそ鳥を交換するのが「うそ替神事」の本来のやりかたで、太宰府天満宮では今でもそうしているようですが、亀戸天神社では、前年までのうそを神社に納め、新しいうそ鳥を買うことになっています。買うことができるのは1月24日と25日の2日間だけです。
昼過ぎに行ったんですが、うそを買うための行列がすごく、どのくらい待つのか予想もできなかったので、そのまま帰ってきました。
上の写真は、納所です。 きれいに並べられてました。
松戸 - 金町 ウォーキング (葛飾区金町) [亀有のもろもろ]
-半田稲荷神社 -
松戸から金町まで、旧水戸街道を歩いた記録の後半です。
江戸川を葛飾橋で渡ると、東京都に入り葛飾区東金町になります。
このあたり、車で通ることはあっても、歩いたのは初めて。 知らなかったけど、歴史のあるお寺と神社が散在してました。
■ 半田稲荷神社
葛飾区に入り、金町駅に向かって10分くらい歩くとあるのが「半田稲荷神社」。
正確な創建時期ははっきりしていないらしいけど、千年を越す由緒ある神社と言われています。 江戸時代にははしかと安産の神様として知られ、歌舞伎や狂言にもこの神社の名前が出てきてるそうです。
狐一対 (の片側)
3体の一番奥に見える、顔が暗く写ってるのが、狐の石像で葛飾区最古だそうです。
手前の石像、顔が犬に見えますね。
神泉遺構
水垢離場(水を浴びて体を清める場所)だったそうです。
■ 光増寺
半田稲荷神社から葛西神社に向かってると、途中にお寺があったので寄ってみました。 「光増寺」の開創は貞應元年(1222年)だそうです。
舟形地蔵道標 (手前)
道標の役割をしていたお地蔵さん。以前は旧街道沿いにあったそうです。
左右に「そうか迄二里半」「これよりミきいわつきおんぢミち」 (これより右、岩槻慈恩寺道)と彫られているそうです。(現物では読めませんでした。)
六地蔵。
これも、道標にならってか、舟型になってる。
■ 葛西神社
平安時代末期、元暦2年(1185年)の創建。 かつては上葛西、下葛西の三十三郷の総鎮守として、大きな神社だったそうです。
鍾馗石像
「鍾馗」は疫鬼を退け、間を除く神で、この像は右手に剣、左手に子鬼を掴むんでいます。 元禄8年(1695年)地元の念佛講の人達が、悪魔降伏を祈って建造したそうです。
イチョウの木
区指定の天然記念物です。
石造鳥居
龍神使姫
葛西神社から金町駅に向かってる時にあった石碑。
「龍神使姫」って彫ってあるけど、それが何かは不明。 不思議な名前だな。
今回の記事にした、金町周辺の神社やお寺について知ったのはごく最近。 区の教育委員会の発行している資料を図書館で見てからでした。 史跡や彫刻というと国宝や重文ばかり興味が惹かれがちだけど、普段は気に留めてなかった地元のことに目を向けると、見過ごしていた神社や石碑の縁起などが意外に面白く、いろいろわかってくると楽しいウォーキングとなりました。
旧水戸街道、他の区間も歩く予定ですが、花粉とPM2.5が収まってからになりそうです。
A:葛飾橋
B:半田稲荷神社
C:光増寺
D:葛西神社
E:金町駅
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