懐古 - 九段下 [東京周辺]
20年~30年くらい前の記憶を頼りに、お茶の水~九段の懐かしい場所を歩いた記録の続き、今回は九段下です。
九段会館
軍の予備役の訓練と宿泊を目的に、昭和9年に落成した建物。 2年後の226事件の時に、戒厳司令部が置かれたり、その4年後に大政翼賛会の結成式があったり、いくつかの政治の舞台にもなってたところです。
戦後は日本遺族会が、ホテルやレストランを運営していて、私は昼食でたまに使ってました。
2年前の震災で死傷者が出たため、営業は中止しています。
午前が研数学館で講義。 午後は九段下の千代田区図書館に行くのが、予備校時代の日課でした。
九段会館の向かって左側に、千代田区役所と図書館がありましたが、その場所はビルの建替中。 役所と図書館は斜め前のビルに移転してました。
九段郵便局
入試の願書もここから出したはず。
ここと、裏の官舎は昔のままだと思います。(郵政民営化で「官舎」ではなくなったかもしれませんが)
九段郵便局の裏に、「若喜旅館」ってビジネス旅館があって、1Fにしゃぶしゃぶ屋さんがあり、ランチでたまに行ってました。
今は駐車場になってます。
お店の人には何かと親切にしてもらったんだけど、移転じゃなく廃業みたいだし、今はどうしてるんだろうって思うことがあります。
拡声器を持った複数のお年寄りから、罵声を毎日浴びせられてる銀行が九段下にありました。
ターゲットは、この場所にあった日本債券信用銀行。
(日本債券信用銀行は、1998年経営破綻し、現在はあおぞら銀行)
その人たちは、終戦前の朝鮮銀行か台湾銀行への預金者のようで、主張は終戦時の両行の清算で十分な返金がなかったので、お金を返せというもの。 日債銀は旧朝鮮銀行の残余財産を資本として設立されたことから、街宣の対象になってたみたい。
(朝鮮銀行は、現在の朝銀ではなく、終戦まで朝鮮半島を拠点としていた日本の銀行)
真実はわからないけど、世間を知らない予備校生には、このような街宣が公然と行われてるのが、あまりに刺激的な光景でした。 日債銀のビルは、建て替えになり、銀行以外の会社がテナントになってました。
太陽神戸銀行の本部があったビル。 くぼみのある特徴的なビルは当時のままだけど、あおぞら銀行の本部になってます。
太陽神戸銀行はその後合併と称号変更により「太陽神戸三井銀行」「さくら銀行」「三井住友銀行」へと変遷しています。
北の丸公園の入口から、九段会館方面です。
白い建物は「昭和館」
戦中・戦後の国民生活について、資料・情報を展示している施設です。
これは当時はなかったと思います。
お茶の水 ~神保町 ~水道橋 ~九段下あたり、金融機関以外は変わってない感じでした。
「さぼうる」や「珈琲館」も、近いうち行ってみようと思ってます。
タグ:九段下